自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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キングダム51巻を読んで

 

キングダム 51 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 51 (ヤングジャンプコミックス)

 

 

[いつもの通り主人公は絶体絶命]

サウナに行ったらキングダムの最新刊が置いてありました。最新刊が出ていたことも知らなかったので大喜びで読みました。安定した面白さです。同じことを繰り返しているだけという気もしますが王道の面白さはそういうものです。水戸黄門とか遠山の金さんとか毎回同じだけど飽きずに楽しめます。

 

主人公の所属する国の秦は歴史的に天下統一を果たします。つまり主人公の勝利は決まったことですが毎回ハラハラします。だいたい主人公は毎回ピンチですが今回は逆転は不可能ではないかと思うレベルです。敵国の趙に20万の大軍で攻め入ったのですが退路は絶たれています。

 

兵糧はあと5日で敵兵力はこちらより上です。常識的に考えて全滅は避けようがありません。いったいどうやってこの危機を乗り越えるのでしょうか。今までは全部気合と根性だけでピンチを乗り越えてきましたが兵糧がなくなるという問題は気合と根性ではどうにもなりません。

 

いったいどうやってこの絶体絶命の状況から勝利に至るのか楽しみです。結局5日以内に気合と根性で敵を倒して勝利に至るのでしょうか。しかし相手は天才宰相の李牧なのでその展開はないような気もします。となれば全くの予想不可能で楽しみで仕方ありません。

 

[兵糧以外にも問題がいっぱい]

最新刊に限った話ではありませんが戦場には兵糧の問題以外にも問題がたくさんあるように思います。食べ物と飲み物があればとりあえず人は生きていけます。ただ実際に人が生活するためには兵糧以外にもたくさんの物が必要となります。現代人の感覚で言えば着替えや布団、風呂、タオル、歯ブラシ、トイレなどです。

 

さらに怪我や病気になった時の医療体制です。現代と違って人権などかけらもない時代なので兵糧さえあればいいのでしょうか。現代や過去を問わず戦場とはそういうものなのかもしれません。世界大戦の時の日本軍もジャングルに捨て置かれて虫を食べながら生き延びた人もいるくらいです。

 

兵糧があればましなのでしょう。ただ兵糧だけあっても人間は十分な力がだせません。城の中で生活している兵に勝てるとは思えません。しかしこれは想像力の欠如なのでしょうか。ひ弱な現代人を基準に考えるのが間違っているのかもしれません。兵糧さえあれば人間は死に物狂いで戦えるということでしょうか。

 

 ただどうしてもトイレもないトイレットペーパーもない生活をして硬い土の上で眠って寒かったり暑かったりして殺し合いもして体力はどんどん削られ病気になって生きていけないような気がします。

 

[人間は絶滅しない]

 こういう戦争漫画を読んでいるとやはり思ってしまうことですが人間はよく絶滅しないなあということです。現代でも一人の赤ん坊を大人になるまで育てるのは大変なことです。こんな戦争をしていて一般市民もまきぞいになりどうやって子供が育っていくのだろうか思ってしまいます。

 

共産国家では何百万人、何千万人という人間を粛清しても国家は微動だにしないのだから人間という種族は相当に強いのかもしれません。キングダムの世界なみに殺し合いをしまくっても人間は絶滅しないのは不思議ではないのかもしれません。ただ大昔の医療や食糧事情が悪い時代でも生き延びたというのはすごいと思ってしまいます。

 

[まとめ]

キングダムは本当に少年漫画の王道という感じで面白いです。戦争ものとか歴史ものというよりもバトル漫画という感じです。今は連載初期から登場している天才軍略家の李牧との戦いで本当に熱い展開です。51巻でまだ一国も滅ぼしていないので天下統一までには100巻くらいかかるかもしれません。まだまだ楽しめそうです。 

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術を読んで

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

 

[地味だがphaさんのファンなら楽しめる]

phaさんの本をほとんど読んでいます。この本は電子化されたら買おうと思ってそのまま忘れていました。この前ふと思い出し買って読みました。今まで読んだ本の中では一番地味という印象です。phaさんの文章を読むのが好きという人なら楽しめると思います。

 

僕自身は楽しめましたがphaさんを知らない人が読んで楽しめるかどうかは正直わかりません。そんな人はあまりいないとは思いますが。さまざまなhow toがこの本には書いてありますがどれも地味な印象はあります。それでも僕には有益だと感じるものが多かったです。

 

人によって評価は変わると思いますが読んで損はないと思います。それにしてもこれを読んで思ったことはphaさんは優秀な人間であり才能のある人間だということです。京大に現役合格するという時点で並みの人間ではないのはわかりきったことではあります。それでもphaさんのようになりたいと思っている僕としては能力の差を思い知り少し悲しい気持ちにもなったりします。

 

[ゲーム感覚でする]

この本を読んで一番を胸に刻みたいと思ったことは勉強はゲーム感覚でするということです。この言葉自体はよく聞く言葉でもあります。でもなかなか実践することは難しいと言えます。やりたくないことはやりたくないからです。ゲーム感覚でするためにいろいろ工夫したりさまざまなやり方を試したりすること自体を楽しめるようにするべきなのでしょう。

 

受験時代はどうしてもゲーム感覚で勉強できませんでした。つらくて苦しい作業を耐えて行うのが僕の勉強でした。その時点ですでに敗北していると言えます。ゲーム感覚で楽しんでするということを追い求めたいです。仕事でも勉強でも部屋の掃除でもなんでも。

 

[アイデアをノートに書く]

最近読んでほかの本にもまったく同じことが書いてあったのですがアイデアをノートに書いていくということです。僕はアイデアはスマホのメモ機能やパソコンのワードでした。しかしノートに書いていったほうがより考えが深まったり新しいアイデアが浮かぶのではないかという気持ちになりました。

 

もうノートなど使うことはないと思っていたのですが今年から日誌をノートで書いています。アイデアも紙に書いていこうと思っています。スピリチュアル的な感じになってしまいますが紙には気持ちや魂が宿るということでしょうか。紙を推奨する人は多いです。

 

紙のノートの場合だとパラパラめくったりして違う情報にすばやくアクセスできるからアイデアを出しやすいのかもしれません。ブログのネタもノートに書いていこうと思います。

 

[まとめ]

なんだかんだでphaさんの本を全部買っています。内容も面白いですが文章そのものが面白いです。この本に書いてある知識を血肉化するということを実践してこの本の内容を自分のものとしていきたいです。

 

発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術を読んで

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 

 

[読んで本当に良かった本]

この本を書いている借金玉という人の文章をネット上でたまたまいくつか最近読みました。その文章がメチャクチャ面白かった。借金玉という人に注目していたらアマゾンがこの人の本を勧めてきました。迷わずポチってしまいました。読み終わった結果とても満足しています。

 

恐らく今後少なくとも5回くらいは読み返すであろう本です。買ってよかったと心から思いました。世の中の本がみんなこうならいいのですが・・何がそんなに満足できたかと言えば発達障害の症状がリアルに書いてありかつその対処方法を具体的に書いてあるところです。

 

そしてその文章がよみやすく読み物としても面白いところがすばらしいところです。今までも発達障害やうつ病の本は何冊も読んだことがありますが学術書のように読みづらく硬い文章で書いてあるか「生きるのがつらい」「他人との交流が苦しい」など自分の体験を書きなぐるだけの内容の薄い本かのどちらかのパターンが多かったです。

 

この本は自分の体験を生々しく語りながらもなぜ周囲の人間が怒るのかを分析して考察しています。さらに生きていくために自分が実践している方法を書いています。その対処方法は妥協の産物かもしれませんがよくある自己啓発本のように実践不可能なものではないところがすばらしいです。

 

ただこの本は正常な人間が読んでも心に響くものがない可能性があります。発達障害の人間だからあるあるという話が多く共感できると言えます。

 

[発達障害は徹底して攻撃される]

この本には発達障害の人間の生きづらさが書いてあります。特に対人関係についても詳しく書かれています。発達障害の人間はだいたい人間関係で苦労します。なぜか人間関係が壊れていき自分では理由がわからないのです。そして周囲の人間に嫌われ集中砲火を浴びることになります。

 

そのメカニズムと対処法も書かれています。現実の社会では確かに発達障害の人間は攻撃され続けます。そのためうつ病になってしまう人が多く最悪死を選んでしまいます。それほど苦しんでいても別に同情されるわけでもなく理解されるでもなく毛虫のごとく嫌われて憎しみを一心に受けます。

 

それもやむを得ないことではあります。周囲の人間は別にカウンセラーでもなければ支援団体の人でもないので発達障害など知ったことではないのです。さらに言えば病気とも認識していないのでただ性格が悪いとかなまけものとか、いい加減と思われているだけなのです。

 

先日読んだ「うつ病九段 ブロ棋士が将棋をなくした一年間」を読んだ時の違和感はまさにこれでした。周囲がいっせいにうつ病ということで心配して半年以上優雅に休んで復帰も温かい声に包まれる。それはそれで素晴らしいことですが一般人が読んでもなんの参考にもなりません。

 

 

[自分も発達障害だった]

この本を読んで思ったことは自分はやはり発達障害だったのだなあということです。わりと最近そういう病気があることを知って多分そうだろうと思っていましたが改めて確信しました。発達障害であるがゆえにあちこちで対人関係でぶつかりうつ病となってしまったというわけです。

 

なぜうつ病になってしまったのかどうしたら治るのかということに関心が向いて発達障害ということは考えたことがありませんでした。そういう言葉さえ知らなかったから仕方ないのですけど。自分の持っている症状について知るだけでそういうものだとわかり気持ちが落ち着きます。

 

[まとめ]

この本を読んで思ったっことはもっとはやく読みたかったということです。そうすればもっと生きやすかったと思えます。もっとも結局あちこちぶつかってボロボロになりながら処世術を学ぶしかない部分はあると思います。ただ発達障害という症状をもっとはやく知れば人生が変わったかもと思ってしまいます。それでもこの本を読めたことは幸運でした。

孤独はよくても孤立はダメという考え

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たまに孤独は問題ないが孤立するのはよくないという話を聞きます。確か哲学者の中島義道もそんなようなことを書いていました。孤独はダメだと言われてたとしても孤独に生きていかざるを得ない僕としてはホッとする言葉です。

 

一方で孤立はダメということはどういうことでしょうか。他人とまったく交流がない状態なら孤立している言えます。その状態で生きていけるだけで僕としてはけっこううらやましいのですが、人間としては完全に孤立していると幸福にはなれないのでしょう。

 

仕事をしていればとりあえず他人との交流はあり孤立しようがありません。しかし孤立はしてなくても不幸な人が多いのは今更説明するまでもありません。イジメにあったり過労死するほど働かせられるくらいなら孤立していたほうがましではないかという気もします。

 

しかし大勢の人間が孤立はダメだと言っているのも根拠がないことではないでしょう。確かにまったく他人と一言も話さず何年もひとり暮らしをする生活をしたいかと言われれば厳しいです。どの程度他人と交流があれば人間として心が豊かになるのでしょうか。

 

1年に1回しか人と話す機会がないなら孤立していると言えます。半年に1回でも同じようなものです。少ないかもしれませんが月に1回なら悪くないのではないでしょうか。ただそれも事務的なやりとりではなくて楽しく世間話できるような交流でないと意味がありません。

 

事務的なやりとりなら買い物すればできますから。月に1回楽しく世間話をできればとりあえず孤立していないと定義したいです。月1回食事に行って楽しく世間話できる友人を持つというのもけっこうハードルが高いです。

 

大人になると友人とは年に1回会えばいいほうという感じになります。毎月誰かに会おうとすると12人親しい友人が必要です。それは無理だから月に1回イベントやサークル、ボランティアに参加するということを考えたりします。

 

しかしそれも対人関係に疲れやすい人間にとってはハードルが高いと言えます。親しくない人間と毎月会うのは孤立しているのと同じレベルで苦痛です。それでは意味がない気がする。セミリタイアして囲碁将棋を通じて他人と交流しようかと思ったりもしますが勝敗がつく趣味はどうも精神衛生上よくないようにも思えます。

 

セミリタイアしたらどうして孤立しないですむかを考え続けています。まずセミリタイアするということが非情に困難なので今から心配しても仕方ないのかもしれません。それでもこの孤立しないということがずっと気になっています。

 

今はまだ答えにたどり着いていませんがセミリタイアするまでには答えを見つけたいと思います。

アンチがついてからが一人前なのか

 

fujipon.hatenablog.com

 

[影響力のある人がうらやましい]

人気ブロガーがブクマについて書いている記事を読みました。ネガティブコメントがウザイのでブクマは廃止したほうがいいと言うふうに僕には読めました。この人は読解力がない人に怒りを感じているようで僕の解釈も間違っているかもしれません。

 

僕が感じたことは記事を書けば反応が殺到するのがうらやましいということです。たとえネガティブなコメントだったとしてもうらやましい。莫大な人に自分が書いた文章が読まれているということだからです。ブログはアンチがついてようやく一人前ということも言われたりします。

 

確かにそういった面はあると感じます。何の影響力もなくあまり人が読まないブログにアンチがつくとは思えません。自分はその意見に反対しているのに大勢の人間が読んで賛同しているという状況に苛立ってアンチになるからでしょう。

 

だからネガティブコメントを大量に書かれている人気ブロガーをうらやましく思ってしまいます。しかしほとんどのブロガーはクソリプは本当に嫌だと発言しているのでやはり精神にくるのでしょう。ネットで生計を立てている知人から「君も経験すればわかるよ」と言われたことがあります。

 

思い出すのはダークソウルというゲームをしていて今日はもうやめようと思った瞬間に他のプレーヤーとマッチングが始まってしまいゲームをやめられなくなった時のことです。面倒だと思いましたがさっさと対戦して終わらせようと思っていました。しかし相手が逃げ回って戦いになりません。

 

夕食の時間なのでもう自殺してゲームヲ終わらせました。するとその対戦プレーヤーからメールが来て「自殺してんじゃねーよ!!対戦がやるならオフラインでやれ!!」という怒りのメールがきました。これを読んだときは瞬間的に感情的になって怒りのメールを返しそうになりましたが冷静さを取り戻しなんとかやめました。

 

今から思うとマッチングが始まったらすぐに強制的に回線を切っておけばよかったです。マナーに反すると思い勝負がつくまでつきあおうと思ったのですが相手の時間を奪って中途半端に終わるくらいなら強制終了したほうがよかったです。

 

それはともかくこのメールを見たときは頭の中が一瞬で怒りでいっぱいになりました。クソリプをもらうというのはああいう状態なのだとしたらやはりキツイかもしれません。

 

[アンチが増えたらコメントは見なければいいのではないか]

ネガティブコメントが増えて精神的につらかったとしても見なければいいのではないかとも考えました。見なければないのと同じなのでマイペースに書いていけばいいです。しかし人気ブロガーと呼ばれる人たちは様々な文章を読みまくり徹底的に考察する人たちです。

 

だから自分の記事に書かれている文章を読まずにはいられないのでしょう。そして書かれた意図や論理の整合性を徹底的に検証します。生身の人間だから否定的な意見には傷ついたり感情的になったりして不快になります。

 

人気ブログの記事だからこそネガティブコメントが大量につけられ人気ブロガーだからこそじっくりと読んでしまう。ネガティブコメントを読まないようなブロガーにはそもそもネガティブコメントはつけられないという構造がありそうです。

 

もし僕のブログに大量にネガコメが書かれたら多分読まないでしょうね。だからダメなのかもしれませんけど。

 

[気合を入れてブログに取り組みたい]

今までブログは個人的な記録という意味で続けていました。もう少し気合をいれてやってみたいという思いが最近強くなっています。たとえばこのブログを毎日更新するとか、取材をするなどもっと熱を込めたい気分が高まっています。

 

もっともまたすぐに熱が冷める可能性も高いです。というか冷めるでしょう。どんなに情熱がある人だっていつかは冷めるのだからしかたありません。死ぬまでブログに情熱を燃やせる人もいるかもしれないけど極めて少数派でしょう。

 

今はこの熱が高まった時にいろいろやり方を改善していきたいです。アンチがつくくらい影響力があるブログを目指したいです。

2018年6月の支出と振り返り

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コンビニ10000円

県民共済2000円

手数料108円

携帯電話1884円

ムームドメイン1598円

NETFLIX702円

amazon プライム会員費3900円

将棋アプリ486円

キンドル5501円

目薬718円

ルーター9797円

家賃50000円

計86694円

 

6月の支出の集計が遅くなりました。果たして集計することに意味があるだろうかと疑問を持ったからです。一度も過去のものを見返したこともないし分析してムダを省いたということもありません。そんなことをしなくてももう無駄遣いなどしないからです。

 

ただこの集計の時にクレジットカードの支出の内容をチェックしていたので不正利用された場合はすぐ気が付くことができます。それだけでも集計する価値はあるかと思いました。集計することをやめれば何年も見ないかもしれません。

 

[ムームードメイン1598円]

さりげなくクレジットカードから引き落とされていました。ブログでは支出はあるけど収益はほとんどない状態です。ブログを始めた頃は夢と希望にあふれていました。特にgoogle adsenseの審査に通った時は天下をとった気分でした。

 

他の人のgoogle 先生からお小遣いをもらったという記事をにごった目で見ています。ブログに真剣に取り組みたいという気持ちも心の中でくすぶっていますが今は継続することを優先しています。

 

[amazon プライム会員費3900円]

さりげなくアマゾンもお金を引き落としていました。自動引き落としというのはくせ者です。気づいたら更新されています。同僚でプライム会員をやめようと思いながらも気がつくと引き落とされ何年も続けている人間がいます。

 

それがアマゾンの狙いなのかもしれません。僕の場合、買い物はほとんどアマゾンだしすぐ届けてもらえるので助かってはいます。動画もたまに見るし不満はないです。しかし未だにアフィリエイトプログラムを落とされたことを根に持っています。

 

そもそも商品を紹介するだけなのになぜ審査をする必要があるかもよくわかりません。プライム会員でありキンドルのヘビーユーザーでありアマゾンのヘビーユーザーの僕を落とすとは・・と心の中でわだかまりがあります。

 

ツイッターとかもそうですが巨大になると殿様商売というかユーザーに対して冷たく厳しくなるように感じます。

 

[ルーター9797円]

今となっては懐かしい感もある光回線導入の時に買いました。鉄拳という格闘ゲームを快適にするために光にしたのですが負けまくって心が折れてあまりやらなくなりました。結局ネットライフはあまり導入前と変わっていません。

 

ただ動画をアップするのが以前は30分とか1時間かかっていたのが1分くらいで終わってしまう時光回線を実感します。

 

[6月を振り返って]

日誌を書くようになったので振り返るのが楽になりました。楽になったのだけど特別な事件はなにもない平穏な日常でした。退屈でつまらない生活と言えるかもしれません。でも日常生活というのはそういうものでしょう。

 

嵐のような生活よりはましです。いつもと違うこととしては新人の研修がありました。とても順調で何も問題がありません。あとはいつもと違うのは相対性理論というバンドにはまってYoutubeで聴きまくっていたくらいです。今後も平穏な生活が続くといいのですけどどうなるでしょうか。

解雇規制はないほうがいいかも

定年制廃止のために金銭解雇の合法化を 週刊プレイボーイ連載(344) – 橘玲 公式BLOG

 

 [モンスターを解雇したい]

モンスター社員には過去にさんざん悩まされた記憶があります。中でも目立ったのは4人です。今までも何回か記事に書いたのでここでは詳しくは書きませんがモンスターはたとえ人手不足になったしとしてもいないほうがいい人間です。

 

いなくなって始めてその人のありがたさがわかるということがあります。モンスターはいなくなって改めてその害悪が身にしみてわかります。仕事はスムーズになるし職場の雰囲気はよくなるしモンスターは存在そのものが害悪です。

 

モンスターを合法的に解雇できれば職場をもっとよくできると何度も考えたものです。しかしもう少し深く考えてみると解雇規制があるからモンスターが産まれるのではないかという気もします。モンスターはただやみくもに暴れるわけではなくてどの程度なら大丈夫か計算して暴れています。

 

この程度なら解雇されないと計算して暴れます。解雇規制がなければそもそもモンスターは産まれないかもしれません。

 

[社会全体を考えれば解雇規制はないほうがいい]

大きな視点で社会のことを考えれば解雇規制はないほうがいいと思われます。既に述べたようにモンスターを解雇できること、さまざまな人材を試しに採用してみることが容易になる、転職も容易になると予測される、などが考えられます。

 

モンスターが暴れまわるのにやめさせることができないため必要な人材がやる気をなくしたり転職したりすることを防げます。現状はうっかりモンスターを採用するとまずいので気楽に人を雇うことができません。しかし解雇規制がなくなれば試しに様々な人材を試して中にはうまくいくケースもあるでしょう。

 

解雇規制が撤廃されれば転職市場も成熟すると思われ結果的に労働者のプラスになります。しかし誰を解雇するか決める権限がある人間に権力が集中して某独裁国家のように職場がなってしまうのではないかという心配もあります。

 

少なくとも現場の責任者には現場の人間を自由に解雇できる権限がないと統率が難しいのではないかと思います。僕の場合、責任だけ押し付けられ現場のモンスターに暴れられて苦戦しました。人を統率するには切ることができる有力なカードがないと困難です。

 

[自分が解雇されるリスク]

解雇規制がなくなるということは自分が解雇されるリスクも受け入れないといけません。勝手な話ですがそれは避けたいというふうにも思ってしまいます。ただ転職は今より容易になるし一つの職場でモンスターに苦しめられ身動きできないよりはましかもしれません。

 

自分が解雇されるかもしれないというリスクは誰もが敏感に反応して猛反対するでしょう。たとえ社会がよくなるとしても現在の自分にデメリットがあるとなれば反対するのが人間です。その気持ちは痛いほどよくわかります。それでも社会がよくなれば結果として自分も生きやすくなるので解雇規制は撤廃すべきなのかもしれません。 

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