夏目漱石のこころは、誰でも学校で一部読むことになっている小説です。今までにも3回くらい読み返してきましたが、最近また読み直しました。昔からなぜか、この小説には心惹かれてきましたが、最近理由がわかりました。
[小説のこころに惹かれる理由]
小説に登場する先生の生活がセミリタイアだったからです。もちろん、文章そのものが素晴らしいということ、先生の存在がミステリアスで魅力的だったことも理由です。ですが一番僕が惹かれる先生の生活が悠々自適で、うらやましかった部分です。
先生は若かった頃、叔父に財産を騙し取られて人間不信に陥りました。それでも働かずに一生暮らしていけるだけのお金は残っていたので、美人の奥さんと二人で静かに生活していました。
働かずに美人の奥さんと二人で一応仲良く暮らしていけるという時点で羨ましすぎます。僕の中では理想の生活と言っていいような生活です。
[幸福を感じれなかった先生]
ただ先生自身はまったく幸せを感じていなかったのです。これは、叔父に財産を騙し取られたのと親友のKが自殺してしまったことが、ずっと心の傷になって残っていたためです。
心に傷が残り幸せなはずの生活を送っていても幸せを感じられないというのは、不幸なことです。先生の場合、働かないでいいという生活を一度も働いたこともなく送っていたため、その生活がどれだけありがたいかわからなかったというのも、あったと思います。
仕事を探す苦労を経験したり、ブラック企業で一年でも働いていれば働かずに生活できることが、どれだけ幸福かわかったでしょう。そういう意味から言って最初から働かずにすむということは、幸福であると同時に不幸であるということでしょう。
先生の場合は、なまじ時間があったから、あれこれ悩みすぎてしまったという感じでした。不幸なセミリタイア生活の典型と言えます。それはそれとして、先生の生活は非常にうらやましいので、不幸なのは非常にもったいないと言えます。
叔父に騙されたことを心の傷に残るのは、仕方ないとして親友のKが自殺したのは、個人責任と言っていいと思います。親友として責任を感じてしまうのも、やむを得ないですが、時間とともに忘れていくべきことだと思います。
[まとめ]
どれだけ理想的な環境でも、幸福なセミリタイアを送るためには、健康な精神が必要だとよくわかります。思うに先生がやることがなかったのが、不幸の原因だったといえます。
自分がやっていて本当に楽しいことや時間を忘れて集中できることが、幸福なリタイア生活を送るには必要なのだと思います。