自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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フェルマーの最終定理を読んで

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[世の中結局才能だなと思った]

フェルマーという数学者が残した命題を数百年という間さまざまな世界的な数学者が挑戦したけれど証明することはできませんでした。そして今世紀ついに一人の数学者が証明して見せました。様々な数学者の人間ドラマを書いた本で数学が苦手でも読み物として非常に面白かったです。

 

この本を読んで思ったことは世の中結局才能だなということです。もちろん天才数学者達もとてつもない努力をしています。でもそれだけ努力できるということが才能なわけです。

 

紀元前の時代に様々な公式を証明しようとした数学者たち。小学生の頃からフェルマーの最終定理の証明に取り組む数学者。明日決闘で殺される事を覚悟しながら数学の公式を書き残した数学者。様々な数学者のエピソードが書かれていましたが、みんな人生を賭けて場合によっては文字通り命がけで数学に取り組んでいます。普通の人にはそんなことはできません。みんな素晴らしい数学の才能を持っています。

 

[苦痛と思っている時点で才能はない]

何かを嫌々やっている時点でそのことに才能はないと言っていいでしょう。だからやるだけ無駄とか価値がないということにはなりません。嫌でも我慢してやることに価値はあります。でも楽しんで夢中になってっているひとに勝ち目はありません。

 

この本を読んで改めてそのことを痛感しました。様々な理由で数学を続けるのが困難な人が逆境にめげず数学の研究に情熱を注ぐ人に対して嫌々やっている人が100年努力しても追いつくことはできないでしょう。

 

本当に才能があることなら迫害されたりお金や名誉にならなくても情熱を燃やし続けることができるわけです。そして大半の人はそんな情熱を注ぐことができるものを見つけることができずに一生を終えます。

 

そういう人生が悪いものだとは思わないです。才能はなくてもそこそこ好きなことを楽しんで生きていくことは可能だからです。むしろ才能があるために不幸になってしまった人もいるので才能のあるなしが人生の幸福に必ずしも直結しないようです。

 

[向いていない人に強制する意味はあるか]

義務教育の中学生までは様々な分野を強制することに意味はあります。子供にどんな才能が眠っているか本人にも分からないのですから。でも高校以上で数学やほかの分野の学問を強制する意味はあるか疑問に感じます。中学まで数学が苦手だったのに高校になって突然数学の才能に目覚める人はいないと思われるからです。

 

苦手な人に無理やりやらせるのは教える人間にとっても教えられる人間にとっても時間の無駄と言えます。それは中学までで十分でしょう。無理やり苦手な人にやらせなくても才能のある人が人生を賭けて情熱を注ぐのでそういう人たちに任せておけばいいのです。

 

[まとめ]

フェルマーの最終定理は数学が苦手な人でも楽しめる本なので興味があるなら読んでほしいです。僕にとっては才能というものに非常に深く考えさせられる本でした。 

 

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)