[パワハラと認識していない人々]
最近よくスポーツ界でパワハラが問題となります。僕自身はスポーツ界とはまったく縁がないのですが興味をひかれてしまいます。それは僕がかつてパワハラされまくったからです。20年くらい前は僕だけでなく社会全体でパワハラが当たり前のようにありました。まあ今でもそうなのかもしれませんけど。
特に体育会系の世界はパワハラなど当たり前すぎて悪いことをしているという認識もない人も大勢いました。その時代を生きていた人は今でも同じような感覚でしょう。息を吸うようにパワハラをします。息を吸うのに無意識であるように特に意識をしなくてもパワハラをします。
当時はパワハラという言葉もありませんでした。だからそういう概念もありません。パワハラしようが犯罪をしようがまったくその認識がないのです。一方若い世代はパワハラという言葉も知っていますし概念も知っています。ほとんどの人が泣き寝入りする中で中には訴える人も出てきます。
だから世代間対立のようにパワハラ人間と被害者で争いが起こるのだと思います。
[パワハラ人間には悪意がない可能性もある]
もともと息をするようにパワハラをしているので本人は悪意がない可能性もあります。また自分自身が暴言を吐かれたり体罰を受けて、そのおかげで自分が成長できた、そのおかげで今の自分があるというストーリーを作り上げている可能性もあります。だからパワハラも相手のために思ってやっているつもりの場合もあるでしょう。
そのため他人から責められても自分はパワハラをしていないと胸をはって堂々と語るパワハラ人間もでてきます。ねずみ講で組織の下のほうのねずみが自分は詐欺を働いているという意識はなく本当に他人のために活動していると思い込んでいるようなものです。いくら批判しても動じたりしません。
[パワハラを定義する必要がある]
どこまでがパワハラでどこからが教育的指導なのかその境目が曖昧であるのも確かです。そのあたりは常識や一般良識で判断してもらいたいところですが実際にできない人は掃いて捨てるほどいます。また時代の移り変わりで考えや感覚も変化していきます。人によって何がパワハラか考えが違う場合もあるでしょう。
昔は企業で「お前みたいなやつは仕事をやめちまえ」というような言葉は教育的指導と考えられていました。今ではパワハラです。単に自分の言動がパワハラに当たると知らないという場合もあるかもしれません。一度どういう言葉や行動がパワハラに当たるかきちんと定義して周知すべきだと考えます。
そうすればあなたの言動はパワハラですと指摘しやすいです。実際のところパワハラは強いものが弱い者にやることなので何をどうしたところでなくなることはないでしょう。圧倒的な権力の前では泣き寝入りするしかない事も多いです。それでも少しでもパワハラが少なくなる社会になることを祈ってます。