自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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承認欲求が満たされないと幸福感を感じれないのだろうか

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[労働で承認欲求が満たされるのだろうか]

承認欲求が満たされないと人間は幸福感を感じれないという説があります。だからどれだけお金を持っていても家に引きこもって他人と接していないと幸福感を感じられず心を病んでいく可能性が高いと言われます。生活保護は人の命は救うかもしれませんが承認欲求を与えることはできません。他人からお金をもらって生活していてもあまり幸せそうに見えないというわけです。

 

承認欲求を得るのにもっとも簡単な方法が仕事をすることという人は多いです。確かにありがとうと言われたり役立っているという実感が得られる機会が多いのは事実です。その一方で仕事のために基本的人権を侵害されて人間の尊厳を踏みにじられるケースがあまりにも多いようにも思います。

 

承認欲求を満たされるどころではなくて自己否定に追い込まれてしまいます。幸いにして現在僕は職場で他人に感謝されたり充実感を感じたり同僚と楽しく世間話をしたりで平和に暮らせています。人間に仕事が大事だと言う人の気持ちもわかります。ただそういう状況になれたのも単に運が良かっただけという気がします。

 

長い間、ささいなことで怒鳴られたり重箱の隅をつつくような小さなことで因縁つけられたり人格を否定されたりでうつ病気味になりました。実際に過労死したりうつ病で自殺をする人は後を絶ちません。仕事はありがとうと言われて承認欲求が満たされると笑ってばかりいられるのどかな世界ではありません。幸せになるためには仕事で承認欲求を得る必要があるというのは危険な考えなようにも思います。

 

[ニート生活を振り返って]

20代の頃、数年ニート生活を送ったことがありますが確かにあの頃は承認欲求などまったく満たされなかったですがそれなりに楽しく暮らしていたようにも思います。ただあの頃は友人とも交流があったし家族とも接していたのでそういったっことが承認欲求を満たしてくれていたのかなという気もします。

 

この経験からわかることは別に仕事をしてなくても定期的に楽しく話せる相手がいるなら 人間は幸福感を感じて生きていけるということです。ただ年をとると友人や家族との交流が少なくなり特に男の場合孤独になりがちです。男の場合はやはり仕事が他人と関われる一番の場所であるのも確かです。

 

本当にまったく他人との交流がなく幸福感を感じて生きていけるかはやってみないとわかりません。試しにやってみるというわけにもいきません。他人と交流すると不快になることも多いので完全な孤独で幸福感を感じることができればそれが一番いいのですがそれはやはり難しいかもしれません。

 

[体が疲労すれば幸福感を感じる]

体が疲労すれば幸福感を感じることができるのではないかと最近考えています。頼まれたわけでもないのにお金を払ってマラソンしたり山に登ったりするのは疲れるためではないかと思います。クタクタに疲れると部屋で休んでいるだけで幸せをしみじみ感じます。

 

仕事をするとビールがうまいというのは仕事がどうとかいう問題ではなくて単に疲れた体でビールを飲むとおいしいということではないでしょうか。スポーツは体を疲れさせるためのものと言えます。もしかすると他人との交流も精神的に疲れるためかもしれません。

 

筋トレや散歩などが精神衛生上いいというのも体が疲れるからです。毎日体をクタクタに疲れさせれば完全な孤独でも幸福感を感じられるのかというとやはりずっとは難しいでしょう。だけど疲れていれば孤独も不幸も忘れ幸福感を感じやすいというのは覚えておきたいことです。

 

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[まとめ]

承認欲求が満たされないと幸福感を感じられないというわけではないと思います。ひとつにはスポーツやら散歩で体をクタクタに疲れさせれば幸福感を感じやすくなります。あとは世間話をできる相手がいればそこそこ楽しく生きていける気もします。

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