自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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大学は職業訓練所であって欲しい

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[勉強は役に立たない]

 大学に行くよりもネットサロンに入ろうということを言う人がいてネットで話題になったそうです。個人的にはネットサロンに入るより大学に行ったほうがいいのは議論するまでもないように思えません。どっちも役に立たないなら大学に行ったほうがまだ学歴が将来役に立つ可能性があります。

 

ただもうさんざん言い尽くされていることですけど学校の勉強は役に立ちません。僕の記憶では30年前もそういう議論がありましたし周囲にも同じことを言う人はたくさんいました。「学校は職業訓練所ではなくて学問をするところだ、勘違いするな!!」という意見があります。

 

僕はむしろ学校は職業訓練所であってほしいとさえ思います。学問したくて学校に行っている人が何人いるのでしょうか。むろんそういう立派な学生も存在します。でも大半の人間は将来に職を得るために学校を卒業しようとするのです。お金を払っているのだからせめて役に立つことを教えてほしいと思っていました。

 

「社会は変化し続けるから役に立つことを教えても通用しなくなる可能性がある」という意見があります。確かに社会は1年でがらりと変わってしまう可能性があります。5年後10年後など予測もつきません。法律や流行、需要と供給も変化し続けます。しかしたとえ一時的だとしても役に立つことを学ぶほうが一生なんの役に立たないことを何百時間もかけて暗記するよりずっと価値があります。

 

[まんべんなく教えるのは中学まででいい]

子供には無限の可能性があるから一通りの科目を教えるというのは理解できます。無理矢理でもやらせてみたらものすごい才能が眠っているかもしれません。数学や科学の天才が生まれて社会を変えるかもしれません。でもそういうのは中学まででいいのではないかと思います。

 

中学で3年間数学を勉強して大嫌いな人間が高校で数学の才能に目覚める可能性はありません。教える方も教わる方も時間の無駄というほかありません。高校以降は数学だとか物理だとかは選択性にすべきでしょう。大学も教養課程でやたらといろいろな科目の授業を受けなければなりません。

 

これもまったく無駄で意味のない時間が多いです。教える方の自己満足と言ってもいいです。お金は払うから他人の時間を無駄にしないでくれとお願いしたい気持ちになります。綺麗事や茶番はたくさんだから役に立つことを教えたらどうだと言いたくなります。

 

教師の雇用を守るためだけに今の制度が存在しているのでしょうか。何十年も前からこういうことは指摘されていましたが今だに何も変わらないので、もう人類が滅びるまでこの制度は変わらないでしょう。

 

[錯覚資産としての学歴]

 それでも大学に行かないよりは行ったほうがいいと思ってはいます。確かになんの役にも立たないことを延々と勉強して高いお金を払って時間と金銭の浪費のようですが錯覚資産としての学歴が手に入ります。錯覚資産についての本を最近読んだのですが錯覚資産とは一つのことで成果をだすと他のことも評価される現象です。

 

ミュージシャンとして成功した人が小説を書くと認められやすいとかドラマや映画にでて役者をやっても評価されやすいというような現象です。企業に入るときに学歴は必要となることも多いですし、自分でも気がつかないうちに他人に評価されそのおかげで他のことも評価されるかもしれません。

 

もちろんそういうことがない可能性もあります。学歴などまったく無意味なまま人生が終わるかもしれません。それでも一人の人間の一生を考えたとき、ないよりあったほうがいいのが学歴だと思います。

 

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[まとめ]

大学は行かないよりは行ったほうがいいと思います。だけどせめて役に立つことを教えろよという願いがあります。古典、音楽、美術、文学など直接生活の役に立たないけど人生を豊かにする学問がたくさんあるのは承知しています。だけどそういうのは教養として教えればいいのであって試験したり暴力をふるったり怒鳴ったりして無理矢理覚えさせるものではないでしょう。

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