[嫌な人間と出会うのはつらい]
嫌な人間というのは存在します。あくまでも自分にとって嫌な人間という意味です。自分も他の誰かにとっては嫌な人間になっている可能性があるので、お互い様なのかもしれません。
そういった理屈はわかった上でも、嫌な人間というのは、理解できないと感じたり、どういう人生を送ったらああいう人間になるのだろうかと不思議に思ったりします。
嫌な人間に会うと精神力が恐ろしく消耗して、時間が経つのが異常に遅くなります。一緒にいるのがつらいので早く解放されたいのに時間が経つのは遅いという非常な苦痛を味わうことになります。
仕事の悩みのほとんどは人間関係だとよく聞きますが、確かに嫌な人間に接触しなければならないかどうかで仕事の難易度は極端に変わります。僕自身の経験から言っても相性の合う人との仕事は、遊びのようにあっという間に楽しく過ぎていくのに、嫌な人との仕事は1分1秒がつらくて仕方ないものです。
[嫌な人間と出会うメリット]
しかし嫌な人と出会うメリットというものも、たまに考えたりします。
①相性の合う人がどれだけありがたい存在かわかる。それほど相性がいい人間ではなくてもありがたい存在だとわかる。
②嫌な人と会わないですむ時間がどれだけありがたいかわかる。
③嫌な人間がどういう存在かよくわかり、そうならないように気をつけることができる。
人間関係は相対的な部分もあるので、少しくらい波長が合わない人がいても、あまりに嫌な人間にあうと、とてもありがたい存在に思えてきます。そばにいても自分の感情を逆なでしないだけありがたいことです。
ましてや相性の合う人、自分の話を理解してくれる人がどれだけありがたいか骨身にしみます。生まれてきて、そこに存在してくれることに感謝の気持ちさえ湧いてきます。こんな気持ちは、嫌な人間が存在しなければ起こらないでしょう。
退屈だったり暇だったりするのが、少し苦痛に感じることもあります。でも退屈だったり暇なのがどれだけありがたいか気づかせてくれるのも、嫌な人間の存在です。これはセミリタイア生活にも同じことが言えると思います。嫌な人間に苦しめられた人ほどセミリタイア生活をありがたいと思えるでしょう。
[嫌な人間と出会うのは人生のスパイス]
良くも悪くも嫌な人間という存在は、自分の脳に刻み込まれます。それを参考にして、ああいう人間にならないように気をつけることができます。自分も無意識のうちに大切な人に嫌な人間のように振舞ってしまうことがあるかもしれません。それを気をつけることができます。
嫌な人間と会わないで済むならそれに越したことはありませんが、出会ってしまったら、出会ってしまったでメリットもあると思えば多少ましな気持ちになれます。四六時中顔を付き合わせなければならないとなると、心が壊れてしまいそうですが、たまになら人生のスパイスになりうるような気がします。