[セミリタイアは批判の対象となる]
セミリタイア生活は、必ずしも世間的に認められた生活ではありません。特に若ければ若いほど批判の対象になりやすいです。平家にあらずば人にあらずといった感じで、働かない人間は、人にあらずと言わんばかりに非難される可能性もあります。
仮に金銭的に自活して他人に迷惑をかけなかったとしても、白い目で見られ説教されたりします。せっかくの人生がもったいない、社会に貢献していないなどネガティブな意見を浴びせられます。
[意味は本人が決める]
でもセミリタイアの生活が楽しいなら無意味ではないし、無駄ではないと思うのです。どんなライフスタイル選んだとしても、時間がもったいない、もっと有意義な生活を送れるはずと言われる可能性はあります。言い尽くされたことですが、無意味なのか無駄なのか決められるのは自分だけなのでしょう。
ライフスタイルに限らず趣味的なことでも、無意味だとか無価値だといった批判はよくされます。例えば、ゲームや漫画などもそうだしゴルフや登山でも言われることはあるかもしれません。でも本当に大きなお世話だと思います。それでも、余計なことを言う人というのはいるものです。
そういう言葉は気にする必用はないと分かっていても、魚の骨がのどに引っかかっるように心に引っかかることもあります。これは他人の言葉を気にならなくなるくらい何かに熱中するか楽しい時間を過ごすしかないのでしょう。
[同調圧力や世間の常識は強い]
自分が何が好きでどんな時間が楽しいかきちんと把握していたとしても、心がゆらいでしまうかもしれないほど、世間や他人の同調圧力や一般常識というものは強力です。
なるべくこういう言葉は耳に入らないように工夫したほうが精神衛生上いいのかもしれません。
大学新卒でフリーランスの生活を送ろうが、会社をやめてYou Yuberを目指そうが他人に迷惑をかけなければオールOKです。他人の言うことは気にしないようにするのがいいです。どうせ他人は責任を何もとってくれないのだから。
ダメ連という組織が、ずっと以前マスコミで少し話題になったことがありました。だめ連というのは無職やフリーターの人がなるべく金を使わず寝て暮らしながらも、人生を楽しく生きていこうという人たちの集まりです。
当然賛否がいろいろありましたが、なかでも当時ある評論家の否定的な意見をよく覚えています。生き方に信念がないとか、強力な生き方として残っていかないなどと言っていました。
信念があろうがなかろうが、他人がとやかく言う事ではないし、強力な生き方として残っていかないも何も、現実にその人たちはまだ生きています。
自分が楽しい生活なら無意味ではないし無駄でも無価値でもないということを忘れないようにしたいと思います。