たまに孤独は問題ないが孤立するのはよくないという話を聞きます。確か哲学者の中島義道もそんなようなことを書いていました。孤独はダメだと言われてたとしても孤独に生きていかざるを得ない僕としてはホッとする言葉です。
一方で孤立はダメということはどういうことでしょうか。他人とまったく交流がない状態なら孤立している言えます。その状態で生きていけるだけで僕としてはけっこううらやましいのですが、人間としては完全に孤立していると幸福にはなれないのでしょう。
仕事をしていればとりあえず他人との交流はあり孤立しようがありません。しかし孤立はしてなくても不幸な人が多いのは今更説明するまでもありません。イジメにあったり過労死するほど働かせられるくらいなら孤立していたほうがましではないかという気もします。
しかし大勢の人間が孤立はダメだと言っているのも根拠がないことではないでしょう。確かにまったく他人と一言も話さず何年もひとり暮らしをする生活をしたいかと言われれば厳しいです。どの程度他人と交流があれば人間として心が豊かになるのでしょうか。
1年に1回しか人と話す機会がないなら孤立していると言えます。半年に1回でも同じようなものです。少ないかもしれませんが月に1回なら悪くないのではないでしょうか。ただそれも事務的なやりとりではなくて楽しく世間話できるような交流でないと意味がありません。
事務的なやりとりなら買い物すればできますから。月に1回楽しく世間話をできればとりあえず孤立していないと定義したいです。月1回食事に行って楽しく世間話できる友人を持つというのもけっこうハードルが高いです。
大人になると友人とは年に1回会えばいいほうという感じになります。毎月誰かに会おうとすると12人親しい友人が必要です。それは無理だから月に1回イベントやサークル、ボランティアに参加するということを考えたりします。
しかしそれも対人関係に疲れやすい人間にとってはハードルが高いと言えます。親しくない人間と毎月会うのは孤立しているのと同じレベルで苦痛です。それでは意味がない気がする。セミリタイアして囲碁将棋を通じて他人と交流しようかと思ったりもしますが勝敗がつく趣味はどうも精神衛生上よくないようにも思えます。
セミリタイアしたらどうして孤立しないですむかを考え続けています。まずセミリタイアするということが非情に困難なので今から心配しても仕方ないのかもしれません。それでもこの孤立しないということがずっと気になっています。
今はまだ答えにたどり着いていませんがセミリタイアするまでには答えを見つけたいと思います。