自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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僕は茶番センサーが強すぎたのだろう

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[就職活動はバカらしく感じた]

茶番センサーというのは借金玉という人が作り出した言葉です。茶番センサーとは世の中の茶番を感じる能力のことを言います。この能力が高いと社会で生きていく難易度が高まります。そして僕はこの茶番センサーが強すぎたのだろうなあと借金玉さんの本を読んでしみじみ思いました。

 

まず就職活動が僕にはバカバカしくて仕方ありませんでした。どうしても真剣になることができませんでした。あの面接とか就職試験とかがどうにも茶番に思えたのです。それで出遅れてさんざんな目にあいました。最近よくある就職せずにプロブロガーになるとか起業するとかもしっかり自分の考えや目的があるだけ僕よりははるかにましと言えます。

 

思えばこれが人生の大きな分かれ道でした。この時頑張っていればもっとましな人生だったかもと思うこともあります。しかし就職活動をしっかりして大企業に就職しても過労死したり過酷な労働でうつ病になり自ら命を絶ってしまう人の話もチラホラ聞きました。

 

まあこれも運命としか言いようがありません。結果としてこれで良かったのかもと思うことも多いです。類は友を呼ぶというのか僕の知り合いや友人はまともに就職する人間は少なかったです。みんな死ぬこともなくそれなりに働いていることができるので人生何が正解かはわからないのでしょう。

 

[学校の勉強、行事もバカらしく感じた]

もっとさかのぼると学校の勉強や行事もすべて馬鹿らしくて仕方ありませんでした。カッコつけてスカしていたわけではなく本当に馬鹿らしかったのです。自分の将来に何の役に立たない知識をひたすら丸暗記していく作業、体育祭やら音楽祭など本気で怒りを感じました。

 

でも学校ですることのほとんどすべては茶番なのだから茶番に全力をだせないとすべてに全力をだせないわけです。茶番だと感じる能力が高いと必然的に何も頑張れなくなります。体育会系の人間は茶番を全力で行う能力が極めて高いと言えます。あんなふうになりたいとは思わないけど社会から求められる人材になることができます。

 

社会にでたら仕事も人間関係も茶番ばかりなのだから学校ではそれに慣れさせる意味があったのでしょう。おかしいことはおかしい、無駄なことは無駄だと感じる能力が高いと社会出てから生きづらくなるので学生のうちに矯正しておく必要があるのです。完全に矯正されなかった僕は社会の異分子として生きていく運命にありました。

 

[社交辞令や飲み会などもうまくできなかった]

社交辞令や飲み会なども無意味だと思っていたのでそういう考えの人間は色々苦労します。ちょっとしたお世辞や笑顔、感じのいいあいさつ、ちょっとした世間話、そういったことが無意味とは思いませんがうまくできませんでした。心の中で茶番だと思っていたのかもしれません。

 

飲み会も酌をして回るとかあいさつに行くとか絶対にできないタイプの人間でした。茶番だとも感じていましたが能力的にもできなかったのです。逆に世の中の人間はどうしてあんなにうまく他人と話せるのだろうと不思議に思うばかりでした。茶番をうまくこなせるということが社会では必要だったとかなり年月を経てから気づくことになります。

 

[まとめ]

茶番センサーを弱める方法があれば生きづらい人間が減るような気がします。自分で自分を洗脳すると言えるのかもしれません。独裁国家の国民や宗教団体の信者のように洗脳されたほうが楽に幸せに生きれるのは間違いありません。残念ながら正気を持ったまま生きるしか今のところ選択肢がないようです。

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