自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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好きな事で生きていく難しさを考えた

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もういい加減好きなことで生きていくなんて夢見る年齢ではないのですが今だにワンチャンないかなあと煩悩や妄想に悩まされます。さすがにブロ野球の選手になりたいとか将棋棋士になりたいとかは思っていませんが今だとブログやYoutubeでまとまったお金を稼げないかなと考えたりします。

 

どんな分野でもその世界で生きていこうという人は「何がなんでもその道で生きていく」「この世界で生きていけるなら死ぬ気で頑張る」「どんな手段を使ってもこの道で生きていく」という覚悟を持っています。全員それくらいの気持ちで行動をしています。

 

それくらいの覚悟と行動がないというならばその人は最初から真剣にその世界で生きていく気はないのです。それくらいの覚悟と行動を持っていてようやくスタートラインに立っていると言えるのでしょう。そしてそこから厳しい競争が行われてプロとして生きていける人とそうでない人が分かれます。

 

ブログや動画で言えば仕事以外の時間は全部パソコンの前に張り付いて文章を書いたり動画を作成するレベルの人でようやくスタートラインに立っていると言えます。言うまでもなく僕はスタートラインに立っていません。しかしもし仮に僕が休日は1日10時間ブログや動画作りに打ち込んだら多分一ヶ月で挫折します。

 

1ヶ月持たないかもしれません。つまりそれが僕の限界ということでしょう。僕は小説を書いてベストセラーをだして印税生活をしたいと真剣に考えた時期もありました。しかし1つとして作品として完成させることはできませんでした。作家志望のほとんどの人間は作品を完成させることさえできないのです。

 

ウルフルズというバンドのベースの人が作家になると言ってバンドを辞めたことがあります。しかし彼は一つも作品を発表することもなくバンドに復帰しました。バンドを辞めるという背水の陣をしいてさえ作品を完成させることはできなかったのです。僕は彼が意思が弱いとかいい加減だとは思いません。それが普通なのだと思います。

 

当たり前ですが小説家は作品を発表してようやくスタートラインにたちます。そこから厳しい競争が始まります。しかしスタートラインに立つことさえすさまじいエネルギーがいるわけです。僕は趣味で小説を書いていて誰にも見せる予定はなく気楽に書いていますがそういう状態でさえ完成させることはなかなか難しいです。

 

将棋の棋士を目指す人も一日中将棋の事を考えて研究したり詰将棋を解いたりします。しかし普通の人は将棋が好きだったとしてもそんなことはできません。それができることが才能ということなのでしょう。才能のない人間はどうしたらいいのでしょうか。あきらめるしかないのでしょうか。

 

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一日中やるのが苦痛だったとしても一日2,3時間なら楽しいという場合、才能はないかもしれませんが相性は悪くないと言えます。僕の場合はブログ、小説、格闘ゲームとなります。格闘ゲームはしばらく心が折れていましたがまた始めたら楽しめています。相性自体は悪くないのでしょう。

 

趣味として楽しみながら続けて何かのうまくいくことを期待するというのが才能のない人間のとりうる戦略だと思います。戦略というほど立派なものではないかもしれませんが才能がないからすぐにあきらめるというのも悲しい気がします。仮に一生うまくいかなかったとしても楽しめたなら得でしょう。

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