自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

スポンサーリンク

仲の良かった人間がなぜ不倶戴天の敵になるのか

スポンサーリンク

f:id:dorankun:20181025182941p:plain

[遠慮がなくなる]

人生を振り返ると親友と呼べるような人間は3人いました。親友と呼べないまでもかなり仲良く交流していた人も数人いました。しかしそのほとんどと敵対関係のようになってしまいました。今はそうでもないですがかつては寂しくて他人と一緒にいたいと思うタイプの人間だったので極力他人と良好な関係を築きたいと思っていました。

 

 

特に親友や友人とは仲良くしていたいと思っていました。しかしなぜか関係が悪化して場合によっては憎しみあうようにもなってしまいました。もともと気が合う人たちだったのになんでこうなってしまうのでしょうか。その理由の一つとしては仲良くなると遠慮がなくなるということがあります。

 

知り合って仲良くなる課程であるレベルを超えて時間が経つとお互いに遠慮がなくなります。遠慮なく話せるということも仲がいいもの同士だけにできる長所の一つですがそれが裏目にでて怒りが蓄積されて憎しみあうようになることがあります。これを避けるためには親しき仲にも礼儀ありということわざ通りどれだけ仲がよかろうと礼儀や遠慮を持つことが大切です。

 

しかし礼儀や遠慮を忘れてリラックスして話せるのが親しい人のいいところでもあるので運が悪いと関係が悪化するリスクもあります。つまり礼儀や遠慮を忘れることができるのが親しい人のいいところでもあるのにそれ自体が憎しみあう要素となってしまうのです。

 

[一緒にいる時間が長いから癇に障るようになる]

親しい人とは行動をともにする時間も増えることになります。一緒に行動する時間が長いと人間は仲がよくなる傾向にあります。ただそれも一定の時間を超えると憎しみあうようになります。これは恐らく例外はないのではないかと思います。一緒にいる時間が一定を超えると人は憎しみあうようになるという法則があります。

 

だから一緒にいる時間を調節することが良好な人間関係を築く方法となります。ただし調節できない場合も多くそれで人間関係は破壊されます。また相手が自分と一緒にいたいと言ってくれてるのにそれを拒絶するのも心理的に難しい場合もあります。どれだけ気の合う2人だったとしても24時間、同じ部屋にいたら離れたいという心理が芽生えてきます。

 

それが人間の自然の心理です。かといって離れている時間が一定を超えるとだんだん疎遠になって気持ちも相手から離れていきます。普通に生活していたらちょうど適切な時間を相手と過ごすというのが理想です。そうならない場合は人間関係は少しずつ壊れていきます。

 

[仲が良かった分だけ憎しみも増える]

自分のこころにトゲのように刺さっている過去の嫌な思い出はだいたいかつてとても仲が良かった人によって引き起こされました。最初から自分に悪意のある人の嫌な思い出は時間とともに薄れて思い出さなくなります。思うに愛しさあまって憎しみ100倍という状態なのでしょう。

 

人間関係が終わっていない場合でも親しい人間に対するほうが怒りが大きくなる傾向があるのかもしれません。自分の味方であるはずの人間が自分に牙をむいてきたようになり怒りが倍増しているのでしょう。仲がいいとう事実そのものが憎しみを増やす燃料となっています。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[まとめ]

人間という生き物は仲がいい相手と常に憎しみあう可能性を持っていると言えます。むしろ仲が良けれいいほどその可能性も高まります。一生仲のいい夫婦とか親友も存在するでしょうからあくまで可能性の問題ですけど。僕としては他人とは表面上仲がよければ十分と考えてあまり距離を縮めないようにしようと考えています。

Sponsored Link