自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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セミリタイアに必要なものは覚悟

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[他人の目を気にしない難しさ]

数年前までセミリタイアをしたいという気持ちが強く頭の片隅には常にセミリタイアのことがありました。そしてセミリタイアに関しての情報を集めてどういう生活を送るか考えるためにこのブログを始めました。しかしちょうどブログを立ち上げたあたりからセミリタイアの意欲が薄れていきました。

 

職場の環境が変化していったということも大きいですが、やはり覚悟が足りていなかったなと感じます。覚悟とは他人の目を気にしない覚悟です。当時は人並みな自分を捨てきれなかったです。まだ未練がありました。他人に負けたと思われるのも耐えられなかったです。

 

しかし今はプライベートの環境が変わりそういった世間体のようなものを捨てる覚悟ができたように思います。捨てざるを得なかったとも言えます。以前はお金のことがとにかく気になって仕方なかったです。確かに生きていくのにお金は必要不可欠なものなので考える必要はありますが僕の場合、世間体というものを守るためにお金のことを考えていました。

 

比較的他人からの評価は気にしないつもりでしたが実際はがんじがらめだったようです。他人からどう思われようとも自分がしたい生活をするというのが僕のセミリタイア像です。ようやく精神的にはその境地に立てました。

 

[週3日働く生活ならいつでもできる]

仕事を辞めても週3日働く生活で死ぬまで生きていくことができる状況にあります。そう考えれば恐れるものは何もないと言えます。月10万円稼げば十分生活していけます。10万円稼ぐくらいならそこまで心と体を傷つけることなく稼げる金額です。お金のことだけでなく精神面でも週3日ほど働くのがよいと感じます。

 

働く日があるから休日を満喫できるというのは間違いありません。特に休日の前日の夜の開放感は仕事をしなければ得ることができません。理想を言えば月水金で働けるなら言うことはありません。3連勤の場合と月水金では同じ週3日でも負担が違います。連勤がなければストレスもたまりにくくなります。

 

[退屈も孤独も生理的に合わない人間と関わるよりまし]

セミリタイアしたら退屈や孤独とどう向き合うのかというのも考え続けたことでした。ある程度対策を考えることは重要だとは思いますが今は孤独でいいという考えです。生理的に合わない人間と接する苦痛を考えれば孤独など贅沢な悩みという心境になりました。

 

人生における苦しみや困難はだいたい他人からの攻撃によるものでした。他人との交流で喜びや楽しさもあったものの僕の場合は残念ながら総合的に苦しみのほうが多かったと言えます。それでも他人との交流を求める自分がいましたが、ようやく孤独に生きる覚悟ができました。

 

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[まとめ]

お金がいくらあっても完全に安心してセミリタイアするということはできません。そもそも生きている限り不安や心配が完全になくなることはありません。どんな生き方や生活をするにしても覚悟が必要なのでしょう。

師弟を読んだ感想

 

師弟 棋士たち魂の伝承

師弟 棋士たち魂の伝承

 

 [すべてを将棋に賭けた人たち]

6組の将棋界の師匠と弟子にインタビューをした上でエピソードを著者がまとめた構成となっています。それぞれの師弟で独立した章となっています。読みやすい文章で興味深い内容でした。知り合いが持っていたので貸してもらって読みました。読んで思ったのは将棋界というのは当たり前の話ですが将棋に人生を賭けた人の集まりなんだなということです。

 

心臓病で生死をさまよいながら九州の離島から家族と一緒に大阪に移り住みプロ棋士を目指す少年。小学生名人になってからプロを目指し高校に行かずに将棋に集中して25歳の時に年齢制限ぎりぎりでプリになった人など。10代20代を将棋に注いで生きてきた人たちの集まりです。

 

10代20代を将棋に捧げてその結果なれなかった人たちも多勢います。奨励会の8割はプロになれずに将棋界を去っていくそうです。プロと名乗っている人たちは全員その勝ち抜いた2割なわけです。その勝ち抜いた2割の中でまた激しくしのぎを削る戦いが続いていくのです。

 

天という麻雀という漫画で「わしらそういうレベルの麻雀やっとるんや。そうやろ兄ちゃん」というセリフがありました。これはとてつもない高いレベルの麻雀を俺たちはしているのだということを言っているセリフです。将棋界はまさに命を削ったような「そういうレベルの将棋」をしているということです。

 

これを読んで藤井君の天才ぶりを改めて感じました。そういう人たちを相手に14歳の少年が29連勝をしたわけですから、とてつもないことです。実際にはすべてのプロが将棋にすべてを注げるわけではありません。生身の人間だから他のことに興味を持ったり誘惑もあります。

 

そこらへんも将棋のプロの苦悩のひとつです。本当にすべてを注げる人が将棋の天才であり藤井君もその一人だと思われます。

 

[将棋の天才でありがながら高校大学に行く人たち]

将棋の天才で16、17歳でプロになれたのに高校や大学さらには大学院に行くような人もいます。佐々木勇気というプロは16歳でプロになったにも関わらず高校に行きました。高校に行くより将棋に集中したほうがいいと言われたこともあったけど高校に行ったことは後悔していないといいます。

 

高校に行った時間はかけがえのない時間だったとのことです。糸谷8段は大学院まで行きながら竜王というタイトルまでとっています。人間として学問が必要だと思ったそうです。どちらも立派としかいいようがありません。僕は高校時代は刑務所にいるとしか思えなかったし記憶から消せるものなら消したいくらいです。

 

大学時代は無駄とは言わないまでも勉強はまったくしたいという気持ちはなくただダラダラと過ごしていました。彼らは将棋の天才でありながら人としてもしっかりしていて読んでいて劣等感を感じました。将棋以外はダメ人間というほうが見ていてホッとすると思うのですが今は将棋以外もきちんとしていないと世間がゆるしてくれないので人間的にも優れた人が多いのかもしれません。

 

[将棋のプロが幸福かどうかわからない]

好きな将棋で生活していけるなんてうらやましいという思いがありますが将棋のプロは幸福かどうかは判断が難しいです。まあそれはどんな職業でもそうかもしれません。あまりにも勝負が苛烈なので将来が不安定と言えます。半分より上まで食い込めればはっきり経済的には安定しそうです。

 

しかし半分より下となるとけっこう厳しいです。さらに年をとるとだんだん弱くなっていきます。若者に負けまくる運命が待っています。若い時にどれだけ勝っておけるかが大切になります。せっかくプロになれたのにあっという間にフリークラスに落ちてしまい引退に追い込まれるような人もいます。

 

タイトルとれたりA級に行ける人はプロになってよかったという事に迷いはないでしょう。しかし下のほうで負け続け引退に追い込まれる危機に怯えながら生きるというのはあまり幸せとは思えません。すべて承知の上でプロを目指したのだから仕方ないことではあるのでしょう。プロになるための競争に脱落した人のほうが幸せになっている確率は高いかもしれません。

 

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[まとめ]

プロ棋士のさまざまなエピソードがのっており興味深く読みました。読む前と読んでからでは印象が変わった人も何人かいます。特に糸谷8段は見た目がオタクっぽい感じで変人のエピソードを多く聞いていたのでワガママなタイプの人間かと思っていたらそうでもないようです。

 

人生をかけた人間が勝負しているから面白いのでコンピューターがいかに強くなろうが将棋界にとって脅威ではないと思います。今後将棋界がどうなっていくのか見続けようと思います。

2018年9月の支出と振り返り

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漫画喫茶1480円

プレゼント1000円

天丼2250円

コンビニ11979円

モスバーガー2920円

ビール578円

携帯電話1776円

ノート1500円

ネットフリックス702円

将棋486円

キンドル15897円

県民共済2000円

家賃50000円

計92568円

 

9月はなぜかお金を使った記憶が残っていなくてモスバーガーを食べたり漫画喫茶に行った記憶があまりない。言われてみれば行ったような気もするという感じです。

 

[将棋アプリ486円]

将棋には興味はまだあるのですが、なぜかあまり将棋をあまり観戦しなくなりました。将棋界には興味があるしプロの将棋も見れば面白いのだけどなぜかあまり見る気がしなくなってきました。サービスを継続するか検討中。

 

[キンドル15897円]

毎日のように小説や漫画を景気よく買っていたらこんな金額になっていました。今は小説くらいしか娯楽がないのでこれくらい使ってもいいかなという感じです。それにしてもキンドルはポチッとボタンを押すだけで買えてしまうので危険です。

 

[9月を振り返って]

台風の日に出勤で帰りに風にカサを折られました。職場の女性に冷たくされて少し苛立ったりもしました。しかしおおむね職場では平穏な日々でした。プライベートの時間ではひたすら小説を読んでいました。幼女戦記の最新刊は相変わらず面白かったです。推理小説の上木らいちシリーズを読んでいました。

 

9月は体内時計がなぜか狂いがちになって困りました。もともと狂いやすいタイプではあったのですが昼間ずっと眠いのを我慢して夜はすんなり寝れても夜中の2時半に目がスッキリと覚めてしまい翌日また昼間眠い思いをします。特に悩みもないつもりなのですが睡眠が乱れます。

 

休日に眠気に耐え切れず昼間眠ってしまうのがとりあず良くないような気がしています。しかし昼間の眠気はとうてい意志の力で耐えられるレベルではありません。眠るのを避けるため格闘ゲームをしたところかなり眠気が引いていく現象を発見しました。勝っても負けてもアドレナリンがでるのがいいようです。

 

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30分ごとに1試合したりして眠気をさましています。睡眠調節のために格闘ゲームをしている状況です。猛烈に眠いタイミングを乗り越えればわりと目がすっきりしてきます。それにしても寝つきが悪かったり夜中に目がスッキリと覚めてしまったりその一方で昼間は睡魔に襲われます。自分の体ながらいい加減にしてくれと言いたくなります。

睡眠障害を直す方法

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[食後に格闘ゲームをする]

 僕は睡眠のリズムが崩れやすいタイプです。昼間は眠くて仕方なくて夜眠るために我慢して起きていても寝床につくと目が冴えてきてしまいます。しかし我慢して起きているということも休日だとなかなか難しいです。仕事があれば昼間は眠くても起きている他なく疲れてもいるのでなんとか眠ることもできる日が多いのですが休日となるとそうはいきません。

 

休日はだいたい朝も遅めに起きてしまいます。そしてお昼ご飯を食べたあとにだいたい睡眠薬を飲んだように眠くなります。これは職場でもそうなのですが職場だとせいぜい机の上で仮眠を取る程度ですみます。自宅にいるとつい2,3時間寝てしまって夜眠れなくなります。

 

我慢して起きていようとも思うのですが睡魔がすさまじく夜眠れなくていいから眠ろうという気持ちになりだいたい寝てしまいます。そして朝の4時まで眠れず睡眠2時間はん程度で出勤という事態になります。また帰宅後、風呂に入って夕食を食べたあとすさまじい睡魔が襲ってきて2時間ほど眠ってしまうこともあります。そのまま朝まで眠れればいいのになぜかその後、夜の12時くらいに目がすっきりさめて朝まで眠れなくなるという現象に悩まされたこともあります。

 

この時は夕食後に眠ってしまわないように眠気がひくまで立っていることにしました。しかし壁によりかかったまま眠ってしまい自然に座りこんだ時の衝撃で目が覚めました。それほどすさまじい睡魔ということです。結局眠気に負けて横になって寝てしまいました。この現象を避ける方法が少しくだらないと思われるかもしれませんが食後格闘ゲームをするということです。

 

格闘ゲームでなくてもアドレナリンがでる行動ならなんでもいいのです。スマホのオンライン対戦ゲームでもいいし囲碁将棋麻雀の対戦やその他の対戦ゲームでもいいです。映画とかドラマとかお笑いでも見ていて目が覚めればいいのですが経験上、受動的なものは眠気が勝ります。やはり勝負事が一番アドレナリンがでて目が覚めます。

 

人間は歴史的に見ても他人と戦ってばかりいるので勝負事は人間の本能でアドレナリンがでまくります。食後のもっとも眠くなる前に格闘ゲームをしていたらいつの間にか眠気が引いていきました。食後散歩などができればそれが一番いいとは思います。でも台風が来ている時もあるし猛暑の時など外に行きたくない時もあります。

 

また単純に外にでるのが面倒でできないときもあります。そういった時、格闘ゲームが眠気を取るのには適していると思います。休日の睡眠のリズムを守るために対戦ゲームを活用するというのは意外といい方法ではないかと考えますがどうでしょうか。

 

[休日の朝起きたら格闘ゲームをする]

夜眠るためには、朝きちんと起きる必要があります。仕事の時はきちんと起きれても休日の時は起きれないという現象があります。この場合もとりあえず格闘ゲームをすると結構目が覚めます。朝も理想は散歩に行くことですができない場合はアドレナリンがでることをまずするのがいいでしょう。

 

いちおう僕は起きたら簡単なストレッチと筋トレをするという習慣があるのですがまず起きるという行動が休日はできなくなります。起きてすぐに筋トレは休日にする気になれなくても格闘ゲームならやるかという気持ちになれます。ここらへんは人それぞれなんでもいいのです。ストリートファイターでもスプラトゥーンでもかまいません。

 

[夜寝る前は小説]

 夜寝る前の1時間は逆にアドレナリンがでる行為は控えます。僕は夜寝る前の1時間は横になりながら小説を読んでいます。10ページずつ読んで眠気を感じたらすぐに電気を消して寝ます。眠気を感じなければさらにもう10ページ読むことにします。ここで問題は小説が面白くなってしまい読みふけってしまうことです。

 

小説の展開が盛り上がってくるとアドレナリンがでまくって途中で止まらなくなり結局夜中の3時まで読んでしまうこともあります。このあたりは小説の弱点ではありますが読むのが止まらない小説に出えるということは人生の幸せではあるので個人的には良しとしています。でも寝る前は小説以外のものがいいかもしれません。

 

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[まとめ]

夜眠れないというのはけっこうな苦痛です。起きていたい時には猛烈な眠気がきて寝たい時にはスッキリと目が覚めて自分の体ながら振り回されてしまいます。対策としては要するに昼間眠気が襲ってきた時にどうするかということです。特に休日どうするかが問題です。格闘ゲームというのはアドレナリンがでまくり眠気が覚めるのは確かです。良かったら試してみてください。

大学は職業訓練所であって欲しい

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[勉強は役に立たない]

 大学に行くよりもネットサロンに入ろうということを言う人がいてネットで話題になったそうです。個人的にはネットサロンに入るより大学に行ったほうがいいのは議論するまでもないように思えません。どっちも役に立たないなら大学に行ったほうがまだ学歴が将来役に立つ可能性があります。

 

ただもうさんざん言い尽くされていることですけど学校の勉強は役に立ちません。僕の記憶では30年前もそういう議論がありましたし周囲にも同じことを言う人はたくさんいました。「学校は職業訓練所ではなくて学問をするところだ、勘違いするな!!」という意見があります。

 

僕はむしろ学校は職業訓練所であってほしいとさえ思います。学問したくて学校に行っている人が何人いるのでしょうか。むろんそういう立派な学生も存在します。でも大半の人間は将来に職を得るために学校を卒業しようとするのです。お金を払っているのだからせめて役に立つことを教えてほしいと思っていました。

 

「社会は変化し続けるから役に立つことを教えても通用しなくなる可能性がある」という意見があります。確かに社会は1年でがらりと変わってしまう可能性があります。5年後10年後など予測もつきません。法律や流行、需要と供給も変化し続けます。しかしたとえ一時的だとしても役に立つことを学ぶほうが一生なんの役に立たないことを何百時間もかけて暗記するよりずっと価値があります。

 

[まんべんなく教えるのは中学まででいい]

子供には無限の可能性があるから一通りの科目を教えるというのは理解できます。無理矢理でもやらせてみたらものすごい才能が眠っているかもしれません。数学や科学の天才が生まれて社会を変えるかもしれません。でもそういうのは中学まででいいのではないかと思います。

 

中学で3年間数学を勉強して大嫌いな人間が高校で数学の才能に目覚める可能性はありません。教える方も教わる方も時間の無駄というほかありません。高校以降は数学だとか物理だとかは選択性にすべきでしょう。大学も教養課程でやたらといろいろな科目の授業を受けなければなりません。

 

これもまったく無駄で意味のない時間が多いです。教える方の自己満足と言ってもいいです。お金は払うから他人の時間を無駄にしないでくれとお願いしたい気持ちになります。綺麗事や茶番はたくさんだから役に立つことを教えたらどうだと言いたくなります。

 

教師の雇用を守るためだけに今の制度が存在しているのでしょうか。何十年も前からこういうことは指摘されていましたが今だに何も変わらないので、もう人類が滅びるまでこの制度は変わらないでしょう。

 

[錯覚資産としての学歴]

 それでも大学に行かないよりは行ったほうがいいと思ってはいます。確かになんの役にも立たないことを延々と勉強して高いお金を払って時間と金銭の浪費のようですが錯覚資産としての学歴が手に入ります。錯覚資産についての本を最近読んだのですが錯覚資産とは一つのことで成果をだすと他のことも評価される現象です。

 

ミュージシャンとして成功した人が小説を書くと認められやすいとかドラマや映画にでて役者をやっても評価されやすいというような現象です。企業に入るときに学歴は必要となることも多いですし、自分でも気がつかないうちに他人に評価されそのおかげで他のことも評価されるかもしれません。

 

もちろんそういうことがない可能性もあります。学歴などまったく無意味なまま人生が終わるかもしれません。それでも一人の人間の一生を考えたとき、ないよりあったほうがいいのが学歴だと思います。

 

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[まとめ]

大学は行かないよりは行ったほうがいいと思います。だけどせめて役に立つことを教えろよという願いがあります。古典、音楽、美術、文学など直接生活の役に立たないけど人生を豊かにする学問がたくさんあるのは承知しています。だけどそういうのは教養として教えればいいのであって試験したり暴力をふるったり怒鳴ったりして無理矢理覚えさせるものではないでしょう。

日本では男性より女性の方が生きやすい

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[女性には選択肢がある]

 現代日本おいては男性より女性のほうが生きやすいのではないかということをよく考えます。腕力がものを言う時代においては女性は泣かされていたかもしれませんが治安のいい知力がものをいう先進国、特に日本では女性のほうが生きやすいという気がします。

 

男は自分の能力を磨き経済力を高めて競争を勝ち抜き女性とつきあう権利を得ます。女性は競争を勝ち抜いた男性を選ぶ立場にいて最初からゴールに立っています。ゴールにたどりつけず脱落する男性が多い中最初からゴールに立つ権利を持っています。さらに言えば女性は男性を選ぶか選ばないかも自由です。

 

一生誰も選ばないで生きるという選択肢もあります。男性が一人の場合は、選択の余地なくやむなく一人で生きるということになるケースが多いです。やはり女性は専業主婦を選択できるというのが強いです。定職につかず生活していても経済力のある男性と結婚して外から見る限りでは幸せそうに生きている女性を何人も知っています。

 

学生時代から絶対一生働かないと宣言して卒業してすぐに結婚して専業主婦になり楽しく生活している人もいます。僕と仲が良かった同僚の女性は結婚して南国に移住して海を見ながら楽しく生活しています。男性だとこういうことはありません。自分の力でどうにかするしかありません。

 

どうにかできない場合は、ニート、ホームレス、自殺へのルートしか残されていません。もちろん女性は自分の力で生きていく選択肢もあります。選択肢が多いというだけで豊かな人生を送れる可能性が高まると思います。

 

[女性はコミュケーション能力が高い]

生まれながらの能力として女性はコミュニケーション能力が高いです。人間は何百万年と変化していないそうですが、その多くの期間女性は子供を育てることをしていました。そのためコミュニケーション能力や共感性や感受性が高いのだと思います。一方男は黙って狩りをしたり他者と暴力で争ったりでコミュニケーション能力より戦闘能力を高める必要がありました。

 

その太古からの歴史により女性はコミュニケーション能力が男性より高いケースが多いです。そして現代日本ではコミュニケーション能力が高いということがとても価値があります。女性の方が細かい気配りができたり感じよく接したりできることが多いように思います。

 

仕事の面だけでなくプライベートでも価値があります。コミュニケーション能力が高いので孤立しにくいのです。男の場合、定年後話し相手がいなくなり孤独になってうつ状態になったりします。話し相手を求めてクレーマーのような行動をとりはた迷惑な存在となることもあります。

 

女性はいくつになっても友人と交流があったりコミュニティに所属してワイワイ楽しくする能力があります。コミュニケーション能力がものを言う日本という社会において女性は男性より幸せになれる可能性が圧倒的に高いと言えます。

 

[自殺したりホームレスになるのは男性]

自殺するのは7割以上が男性と聞いたことがあります。つまり女性の倍以上です。これは選択肢が少ないがゆえに追い込まれることが男性の方が多いということだと思います。女性なら感じの良い人なら何歳でも社会復帰が可能です。受付でも事務でも接客業でも探せばあるでしょう。

 

男性だと過酷な肉体労働しかないということもありえます。体力がない人は人生が詰みやすいです。採用するとき男性でも女性でもいい仕事なら女性を採用する心理が人間にはあると思います。これは凶悪犯罪を起こすのは9割が男性ということと関係しているでしょう。

 

見知らぬ男というだけでかなり危険なのです。肉体労働やらモンスタークレーマやらの対応に必要だから男も仕方なく採用するということが多い気がします。

 

ホームレスも男性しか見たことはありません。女性はホームレスになるまでには追い込まれないと解釈しています。社会復帰しやすいということと関係しているでしょう。

 

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[まとめ]

自分の周囲を見て考えたことなのでかなり独断と偏見に満ちているかもしれません。もちろん個別には様々なケースがあるでしょう。だけど日本全体で息苦しさを感じているのは男性の方が多いような気がします。バーチャルユーチューバーとして美少女になることがはやっているそうですが女性になりたいと考える男性が多いということかもしれません。

承認欲求が満たされないと幸福感を感じれないのだろうか

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[労働で承認欲求が満たされるのだろうか]

承認欲求が満たされないと人間は幸福感を感じれないという説があります。だからどれだけお金を持っていても家に引きこもって他人と接していないと幸福感を感じられず心を病んでいく可能性が高いと言われます。生活保護は人の命は救うかもしれませんが承認欲求を与えることはできません。他人からお金をもらって生活していてもあまり幸せそうに見えないというわけです。

 

承認欲求を得るのにもっとも簡単な方法が仕事をすることという人は多いです。確かにありがとうと言われたり役立っているという実感が得られる機会が多いのは事実です。その一方で仕事のために基本的人権を侵害されて人間の尊厳を踏みにじられるケースがあまりにも多いようにも思います。

 

承認欲求を満たされるどころではなくて自己否定に追い込まれてしまいます。幸いにして現在僕は職場で他人に感謝されたり充実感を感じたり同僚と楽しく世間話をしたりで平和に暮らせています。人間に仕事が大事だと言う人の気持ちもわかります。ただそういう状況になれたのも単に運が良かっただけという気がします。

 

長い間、ささいなことで怒鳴られたり重箱の隅をつつくような小さなことで因縁つけられたり人格を否定されたりでうつ病気味になりました。実際に過労死したりうつ病で自殺をする人は後を絶ちません。仕事はありがとうと言われて承認欲求が満たされると笑ってばかりいられるのどかな世界ではありません。幸せになるためには仕事で承認欲求を得る必要があるというのは危険な考えなようにも思います。

 

[ニート生活を振り返って]

20代の頃、数年ニート生活を送ったことがありますが確かにあの頃は承認欲求などまったく満たされなかったですがそれなりに楽しく暮らしていたようにも思います。ただあの頃は友人とも交流があったし家族とも接していたのでそういったっことが承認欲求を満たしてくれていたのかなという気もします。

 

この経験からわかることは別に仕事をしてなくても定期的に楽しく話せる相手がいるなら 人間は幸福感を感じて生きていけるということです。ただ年をとると友人や家族との交流が少なくなり特に男の場合孤独になりがちです。男の場合はやはり仕事が他人と関われる一番の場所であるのも確かです。

 

本当にまったく他人との交流がなく幸福感を感じて生きていけるかはやってみないとわかりません。試しにやってみるというわけにもいきません。他人と交流すると不快になることも多いので完全な孤独で幸福感を感じることができればそれが一番いいのですがそれはやはり難しいかもしれません。

 

[体が疲労すれば幸福感を感じる]

体が疲労すれば幸福感を感じることができるのではないかと最近考えています。頼まれたわけでもないのにお金を払ってマラソンしたり山に登ったりするのは疲れるためではないかと思います。クタクタに疲れると部屋で休んでいるだけで幸せをしみじみ感じます。

 

仕事をするとビールがうまいというのは仕事がどうとかいう問題ではなくて単に疲れた体でビールを飲むとおいしいということではないでしょうか。スポーツは体を疲れさせるためのものと言えます。もしかすると他人との交流も精神的に疲れるためかもしれません。

 

筋トレや散歩などが精神衛生上いいというのも体が疲れるからです。毎日体をクタクタに疲れさせれば完全な孤独でも幸福感を感じられるのかというとやはりずっとは難しいでしょう。だけど疲れていれば孤独も不幸も忘れ幸福感を感じやすいというのは覚えておきたいことです。

 

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[まとめ]

承認欲求が満たされないと幸福感を感じられないというわけではないと思います。ひとつにはスポーツやら散歩で体をクタクタに疲れさせれば幸福感を感じやすくなります。あとは世間話をできる相手がいればそこそこ楽しく生きていける気もします。

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