自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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共感型と問題解決型

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世の中には共感型と問題解決型がいると言われています。共感型の人間が誰かに何かを相談する時、解決策を求めているというよりも「大変だったね。よく頑張ったね。気持ちわかるよ」と言って欲しいのです。共感を求めているのに問題解決型の人間が「それなら〇〇したら」「〇〇がよくないんじゃないか」などと言うと非常に不快な気分になります。

 

男と女のコミュニケーションのすれ違いの例としてもよく共感型と問題解決型の対話があげられます。女性が男性に相談して男性が真面目に解決策を考えると女性を怒らせるというものです。もっとも女性が必ずしも共感型ではないし男性も問題解決型とはかぎりません。人によって異なるし一人の人間の中にも共感型と問題解決型が混ざり合っています。

 

共感型の割合の多い人間が共感型であり問題解決型の割合の多い人間が問題解決型となるわけです。僕は過去にいろんな他人とトラブルになってきましたが今から考えると自分が共感型の割合が強すぎたためだったような気がします。問題解決型の人間に自分の問題点を指摘されると強い怒りを感じたのです。

 

冷静に考えればそこまで強い言われ方をしたわけではなかったのに抑えがたい怒りの衝動を感じました。相手からすればなぜそんなに怒らせたのか戸惑っていたでしょう。でもその当時の僕は自分の怒りを正当なものと感じたし相手に対しても悪意を感じていました。

 

その悪意はそんなに大きなものではなかったのかもしれないけれど確かに存在していたのがまた状況を複雑にします。相手は悪意を持っているのだから自分が正しいと信じて疑わなくなってしまうのです。そういう精神状態で人間関係がどんどん悪化していったり破壊されていきました。

 

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反対に自分が他人に対して問題提起や問題解決策を伝えて激怒されたこともあります。やはりその時は何が相手を怒らせているのかわからず強い反発を感じました。穏やかに話し合うには他人と話し合いをする時にはこの人は共感型なのだろうか問題解決型なのだろうかと考える必要があるのかもしれません。

 

とは言うもののこの人はどれくらい共感型なのかどのくらい問題解決型なのかというのを正確に把握することは不可能です。さらに利害関係や立場の力の違いがあればお互いに笑顔で話し合うことは絶望的です。つまりもともと人間同士がお互いに満足して話合うことなどほとんどの場合難易度が高いのです。

 

結局、人間関係はパワーバランスや利害で決まります。少なくとも僕は他人と仲良くするのは無理なので今は表面的に交流してセミリタイアして孤独に生きるしかないという結論に至っています。

アマゾンプライム動画で映画キャストアウェイを見た

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アマゾンのキンドルストアで「ソウナンですか?」という漫画の1巻が無料となっていたので読んでみました。ストーリーは飛行機事故で海に落ちた女子高生4人が無人島に流れ着きサバイバルするというものです。リアリティがあるのかどうかよくわかりませんが作品の雰囲気は明るくサバイバルの様々な知識が登場してなかなか面白かったです。

 

その作品のレビューに同じ無人島に漂流した作品として「キャストアウェイ」の名前を知りました。調べてみるとアマゾンプライムの動画の中にあったので見てみました。ビジネスマンが飛行機事故でやはり無人島に漂流します。誰もいない島でたった一人で生活しなければならず文明の力も使えず苦労します。

 

その苦労している様子がこの映画の中でもっとも面白かったと言えます。火をつけるのに悪戦苦闘しケガをしたり島にあった何かの実を割って汁をすすったり嵐が島に来て洞窟の中に入って岩の上で寝たりととにかく苦労します。この状況で1週間くらいは生きていけそうな気もしますが、それ以上は自分なら無理でしょう。

 

いったいどうやって生きていくのだろうか、あるいは救助されるのだろうかと思っていたらいきなり4年後になってしまいあせりました。主人公は原始人のように髪やヒゲが伸び放題になり上半身は裸になり腰に布を巻いた姿になっていました。正直なところあの無人島に4年もたった一人で生きていくことが可能なのだろうかと気になりました。

 

そのあたりを詳細に描いて欲しかったのですが映画はすっ飛ばした感じでした。主人公の周囲の人間関係やら仕事を描かなければならないので仕方ないことですが時間が足りなかったようです。「ソウナンですか?」では食べられる木の実やヒトデの種類、簡単な火の起こし方、虫の食べ方などとにかくサバイバルに関する知識がたくさんでてきます。

 

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そういったサバイバルの知識があり、かつ相当運がよくて生きていけるのが無人島という気がします。この映画の主人公はビジネスマンでサバイバルの知識はないように思えます。もっとも原始時代には人間はたいした知識がなくても生きていたわけなのでどんな環境でも運が良ければ人間は生きていけるということでしょうか。

 

様々な疑問はありましたが見ていて非常に面白かったです。こういうサバイバルものを見るととにかく日常生活のありがたさというのがよくわかります。ガス、水道、電気が使えて屋根のある家に住めて布団で寝れるのがどれだけ幸せなことなのかを改めて思い知らせてくれます。普通に生活しているとそういったことに対する感謝の気持ちがなくなってしまいますが本当はものすごいことなわけです。日常生活に対する感謝の気持ちは持っていたいと思います。

働くのが向いている人と向いていない人

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世の中には働くのが向いている人と向いていない人がいます。残念ながら僕は向いていない人間でした。10代の頃からセミリタイアしたいと考えて生きていました。そういう考えで働くからなのか特に僕自身は悪気がないのになぜか周囲の人間から嫌われていました。

 

自分が他人に対して悪意を持っていないのになぜか嫌われるという現象はつらかったです。理由がわからないのでつらさがいっそうまします。後から考えると無気力で無愛想だったから嫌われていたのだろうとわかるのですが当時は本当にわからなかったです。当時と今で違うことは本当はやる気がないのにやる気があるように見せていることと愛想よくふるまうようになったことです。

 

それに気がつくだけでかなりの年月を必要としました。ほとんどの人は気がつくとか気がつかない以前に自然にやる気を見せて自然に笑顔で他人と接しているのでしょう。そういう人は働くのが向いていると言えます。性格や能力が働く用に最初からできているのです。

 

そういう人たちは普通に働いて普通に家庭を築いて幸せな一生を送ってめでたしめでたしでしょう。問題は働くのが向いていない人です。過酷な人生を送らざるをえないのです。そんな中で一昔前と違ってインターネットが普及した社会ではYoutubeやブログでPVを集め広告費で生活費を稼ぐ人もでてきました。

 

これこそが働くことが向いていない人とって地獄の蜘蛛の糸のように思われました。しかし実際に成功している人を見ると普通に働いてもうまくいくような人ばかりです。Youtubeやブログでも成功するには働くことが向いている人の持つ資質が必要ということなのでしょうか。

 

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だとするならば働くことが向いていない人にとって現実社会は絶望的です。Youtubeやブログで稼ぐどころか「Youtubeで稼ぐ方法」とか「ブログで飯を食う方法」を売る詐欺師のカモになってしまっているのが現実です。今現在考えるうる可能な方法としてはお金をある程度ためて週2,3回働く生活をするというものです。

 

おもしろくもおかしくもない結論ですが「働くことが向いていない人」にとってそれが唯一苦しみの少なく生きる方法ではないでしょうか。結婚とか子供とか世間体と人並みのものをあきらめなければならないので普通の人は簡単に決断することはできないでしょう。

 

特に若い頃からそう決断することは不可能に近いです。僕は若い頃からセミリタイアしたいと思っていましたが最近は年齢的にもそういう生活に抵抗がますます少なくなってきました。あと5年くらいは普通に働きそのあとセミリタイアしたいと思っています。

Youtubeやブログで儲ける方法を売るのは振り込め詐欺と同じ

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ニュースを見ていて思うことは振り込め詐欺というのはなくならないなというものです。これだけニュースで報道されているのだからやり口も広まって騙されるひとがいなくなり詐欺もなくなるような気がするのですが現実はそうならないようです。だましてもだましても新たにまただまされる人が現れるということなのでしょう。

 

10年前も確か同じように振り込め詐欺というのはなくならないなと思っていたので10年後も恐らく振り込め詐欺は行われているのでしょう。テレビでだまされそうになってギリギリで詐欺だと気がついた人がインタビューを受けていました。最初はやはり詐欺ではないかと疑うのですがだんだん本当かもと信じそうになったということです。

 

科学的には耳元でささやかれる電話というものが非常に詐欺に適したものということです。耳元で何回も同じことを繰り返されることが人間の脳に対して非常に効果的に働くということです。それにしても家族しか分からないペットの名前を聞くとか簡単に本人確認ができるのではないかという気がします。

 

職場の知り合いは財布をなくして困り家に電話したところ家族に振り込め詐欺を疑われて信じてもらえず非常に困ったという話を聞きました。本人でも疑われてしまうのも悲しい話ですがだまされるよりはましです。これだけ世間で騒がれているのだから疑うくらいでちょうどいいと思います。

 

振り込め詐欺のニュースを聞いているといろいろ考えることがありますが連想してしまうのがYoutubeで儲ける方法とかブログで稼ぐ方法を教えると言ってお金を集める人たちのことです。これは詐欺ではなく合法とされどうどうと行われているわけですがほとんど振り込め詐欺だよなとよく思っていました。

 

他人の不安をあおり解決方法を提示してお金を振り込ませるという構造が振り込め詐欺そのものなのです。振り込め詐欺と違って一人一人から集める金額が少なくだますつもりはないという意思表示で詐欺とはされません。詐欺ほど立証するのが難しい犯罪はないと言われていますが、だますつもりがなかったと言われればそれで逃れられることが多いのです。

 

Youtubeで儲ける方法やブログで稼ぐ方法とやらも非常に怪しいのですがお金を稼げなくても本人の自己責任でだますつもりはなかったと主張され、また一人一人の金額も数千円とか数万円なので訴える人もいないでしょう。それにしても思うのは、騙される人というのがいなくならないのだなというものです。

 

株で儲ける方法とか売っている人も同じ事が言えますが、そんな方法が本当にあるとすれば絶対他人には教えないはずなのです。仮にその人が過去に本当に儲けたとしても真似することができないとすればそれはすでに儲ける方法ではありません。小説を書かずに「小説を書く方法」という本ばかり書いている小説家みたいなもので怪しいことこの上ないのですがだまされる人はいなくならないのでしょう。残念なことですが多分十年後も同じ状況だと思われます。

 

 

2019年8月の支出と振り返り

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焼肉5713円

漫画喫茶980円

地下鉄1000円

ドーナッツ2160円

プリン2494円

スーパーコンビニ16576円

吉野家1800円

携帯電話1787円

Netflix864円

ノート1000円

電子書籍5863円

手数料324円

県民共済2000円

家賃50000円

計92561円

 

[焼肉5713円]

焼肉を職場の人間と食べに行きました。お昼を食べ放題で食べてきました。食べ放題の焼肉というのは初めてでしたがなかなかいいものでした。一緒に食べに行った人が豪快に食べる人だったので圧倒されつつも僕もかなり食べました。お昼に食べたのですが夕食は食べなくてもまったくお腹がすかなかったほどです。

 

[漫画喫茶980円]

漫画喫茶には行かずに本当に読みたい漫画は買ったほうがいいのではないかという考えが最近芽生えつつあります。漫画喫茶に行くと1000円くらいかかるのですが本当に読みたい漫画は1冊か2冊であとは適当に時間を潰しているという感じです。だったら漫画を買ったほうが好きな時に好きなだけ読むことができます。

 

漫画喫茶の問題点は時間に追われている感覚があることです。常に時計を気にして時間の確認をしてしまいます。さらにはトイレ問題があります。大きな店でもなぜかトイレは小さいことが多く行きたい時にトイレに行けないことが珍しくありません。フリードリンクのためどうしてもトイレが近くなるというのになぜトイレを大きくしないのでしょうか。漫画喫茶に行くことはもうやめたほうがいいような気がしています。

 

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[ドーナッツ2160円プリン2494円]

親戚がきてドーナッツやプリンを買いました。久しぶりに買っておいしかったはおいしかったのですがやはり昔のような感動がなくなったような気がしています。何かを食べて感動したいという気持ちがありますがなかなか感動に巡り会えません。そういえば職場に置いてあったキットカットを食べたとき、あまりのおいしさに感動しました。お金をかけなくても感動はあるということでしょう。

 

[吉野家1800円]

仕事の後に吉野家に行って牛丼を食べてビールを飲みました。これがかなり極楽気分で良かったです。仕事の疲れで火照った体にビールがしみこみつまみの牛丼もとてもおいしかったです。1ヶ月に1回くらい行くのもいいかと思いました。

 

[8月を振り返って]

8月の前半に職場に大きな山場がありました。なんとか無事に切り抜けました。同僚のボランティア精神に助けられました。俺に食べ放題の焼肉をおごったのですが久しぶりに職場の人間と食事に行きました。以前はよく職場の人と食事にいったものですがここ2年ほどまったく行かなくなりました。職場の人間と食事に行っても何もならないという結論に達していましたが久しぶりだとそれなりに楽しかったです。

ZOZOをやめた前澤氏はホリエモンになる

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ZOZOを前澤氏がやめたと聞いた時は本当に驚きました。バカ高い絵画を買ったり女優と付き合ったりお金をばらまいたり無意味に話題を振りまいて無意味にメディアにでたりしても自分の育てた事業には愛着があるのだろうと思っていました。もちろん愛着がまったくないことはないでしょうが本当に好きなことは別にあるのでしょう。

 

70歳になっても事業の実権を譲らない社長や親子兄弟で企業の所有権を争うなどということもよく聞く話です。でも前澤氏にはそういった執着や愛着は会社に対してはもっていなかった。あるいは本当にやりたいことが他にあると言ってもいいでしょう。そのやりたいこととは芸能人のようになることであると思います。

 

テレビにでたりメディアに取材されたりお金を無造作に使ったり恐らく芸能人のような種類の自己顕示欲が強いのでしょう。恐らくは前澤氏はこれからやたらとテレビやネットにでまくるホリエモンのような存在になる気がします。これからも何かと言うとメディアにでてくるでしょう。

 

それが悪いということではなくて僕のような勤労精神に欠けた人間から見ると会社が高く売れるならさっさと売ってしまって好きなことをして生きたほうがいいと思います。2400億円のお金が前澤氏に入ってくるというニュースを見ましたが会社を売ればそれだけのお金が入ってくるのにまだ働いているほうが異常と言ってもいいでしょう。

 

税金を半分払っても1200億円手に入るのだから毎年10億円使っても使い切るのに120年かかてしまう。どれだけ無駄遣いしようが使いきれるものではない。他にやりたいことがあるなら仕事なんてしている場合ではないでしょう。個人的にはぜひ月の裏側にいってほしいと思います。

 

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宇宙飛行士ではない人間でメディアにもよくでて知名度がある前澤氏が月の裏側に行ったらお祭り騒ぎになるでしょう。月には着陸しないらしいのでそれは残念ですが月の裏側にいくだけで相当なものです。仕事をしながら月なんていけるのだろうかと疑問に思っていたのですが会社を辞めたので月に行くのはどうやら本気のようです。

 

女優の剛力彩芽とはどうなるのかということも今後メディアをにぎわすでしょう。個人的にはあまり興味はありませんがメディアは前澤氏をほっとかないでしょう。そのうちクイズ番組や情報バラエティ番組にも出演するかもしれません。前澤氏はきっとホリエモンのようになります。月に行ったあとはますますその可能性が高くなるでしょう。

M1グランプリを3年分見て漫才の限界を感じた

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最近自分の中でお笑いブームが起こっていました。Youtubeにある島田紳助の動画をなんとなく見たら面白くてはまってしまいました。過去のバラエティの面白い部分がたくさんアップされているのでいろいろと見ていました。ネットフリックスに過去のM1グランプリが全部あるのに気がついて見てみようと思いました。2001年、2002年、2003年を見てみました。

 

[漫才という表現は厳しい]

漫才を見続けて感じたことは漫才を見続けることはキツイということです。何千組という中から選ばれた漫才師の漫才ですが見るのがキツイのです。面白いと感じる漫才もありますが8割くらいは見るのがきついのです。その面白い漫才にしてもある程度、集中して聞いていないと面白さがわかりません。漫才は何か作業をしながら気楽に笑うという表現方法ではないということです。

 

2割の面白い漫才を聞くために残り8割のつまらないと感じる漫才も集中して聞かないとならないのでかなりキツイのです。何千組という競争を勝ち抜いた漫才でも8割は面白いと感じないということは面白い漫才を作るのがそれだけ難しいということでしょう。1本面白い漫才を作るのがそれだけ難しいなら漫才で番組を作るのも難しいでしょう。漫才でスターになるということも本来不可能なことです。

 

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[笑いの評価は難しい]

笑いの評価は難しいと感じました。年齢、性別、地域などによっても何を面白いと感じるかは違うでしょう。そういう意味では一番面白い漫才などは存在しないのかもしれません。僕が見ていても審査員が高く評価する漫才がまるで理解できないということが多かったです。反対に自分がなんとか理解できる漫才に限って低評価だったりします。

 

若手芸人にチャンスを与えるという意味でM1などのコンテストは意味や意義があるのかもしれません。しかし笑いという表現方法で勝敗を決めるのはもともと無理があるように感じました。

 

[フリートークがすべて]

M1で優勝したり決勝に進んでもその後あまりパッとしない漫才師もいます。キングオブコントなどで優勝してもその後鳴かず飛ばずという人もいます。逆に優勝しなくても決勝に進まなくても売れっ子になる人はいくらでもいます。結局お笑い芸人で売れっ子になるとはバラエティ番組によくでるということとイコールです。極端な話、漫才やコントなどまったくやらなくてもバラエティ番組で面白い話ができればそれでいいのです。

 

実際売れっ子になって漫才やコントをやり続ける人は少ないです。漫才やコントは世に出るための道具であってずっとやるものではないということです。だから漫才やコントが面白くても消えていく人がいます。一方そんなに面白くなくてもバラエティの雰囲気に馴染んでいる芸人は売れっ子になったりします。芸人にとってはフリートークがすべてと言えます。漫才やコントはあまりに多すぎる若手芸人を選別するための道具にすぎません。

 

[まとめ]

忙しい現代人が集中して漫才を聞くというのは難しいのかもしれません。情報バラエティとかクイズ番組とか食事をしながらでも見れる笑いが求められているのです。M1も1年に1回だからなんとか続いているのでしょう。

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