自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

スポンサーリンク

承認欲求が満たされないと幸福感を感じれないのだろうか

f:id:dorankun:20180929000622p:plain

[労働で承認欲求が満たされるのだろうか]

承認欲求が満たされないと人間は幸福感を感じれないという説があります。だからどれだけお金を持っていても家に引きこもって他人と接していないと幸福感を感じられず心を病んでいく可能性が高いと言われます。生活保護は人の命は救うかもしれませんが承認欲求を与えることはできません。他人からお金をもらって生活していてもあまり幸せそうに見えないというわけです。

 

承認欲求を得るのにもっとも簡単な方法が仕事をすることという人は多いです。確かにありがとうと言われたり役立っているという実感が得られる機会が多いのは事実です。その一方で仕事のために基本的人権を侵害されて人間の尊厳を踏みにじられるケースがあまりにも多いようにも思います。

 

承認欲求を満たされるどころではなくて自己否定に追い込まれてしまいます。幸いにして現在僕は職場で他人に感謝されたり充実感を感じたり同僚と楽しく世間話をしたりで平和に暮らせています。人間に仕事が大事だと言う人の気持ちもわかります。ただそういう状況になれたのも単に運が良かっただけという気がします。

 

長い間、ささいなことで怒鳴られたり重箱の隅をつつくような小さなことで因縁つけられたり人格を否定されたりでうつ病気味になりました。実際に過労死したりうつ病で自殺をする人は後を絶ちません。仕事はありがとうと言われて承認欲求が満たされると笑ってばかりいられるのどかな世界ではありません。幸せになるためには仕事で承認欲求を得る必要があるというのは危険な考えなようにも思います。

 

[ニート生活を振り返って]

20代の頃、数年ニート生活を送ったことがありますが確かにあの頃は承認欲求などまったく満たされなかったですがそれなりに楽しく暮らしていたようにも思います。ただあの頃は友人とも交流があったし家族とも接していたのでそういったっことが承認欲求を満たしてくれていたのかなという気もします。

 

この経験からわかることは別に仕事をしてなくても定期的に楽しく話せる相手がいるなら 人間は幸福感を感じて生きていけるということです。ただ年をとると友人や家族との交流が少なくなり特に男の場合孤独になりがちです。男の場合はやはり仕事が他人と関われる一番の場所であるのも確かです。

 

本当にまったく他人との交流がなく幸福感を感じて生きていけるかはやってみないとわかりません。試しにやってみるというわけにもいきません。他人と交流すると不快になることも多いので完全な孤独で幸福感を感じることができればそれが一番いいのですがそれはやはり難しいかもしれません。

 

[体が疲労すれば幸福感を感じる]

体が疲労すれば幸福感を感じることができるのではないかと最近考えています。頼まれたわけでもないのにお金を払ってマラソンしたり山に登ったりするのは疲れるためではないかと思います。クタクタに疲れると部屋で休んでいるだけで幸せをしみじみ感じます。

 

仕事をするとビールがうまいというのは仕事がどうとかいう問題ではなくて単に疲れた体でビールを飲むとおいしいということではないでしょうか。スポーツは体を疲れさせるためのものと言えます。もしかすると他人との交流も精神的に疲れるためかもしれません。

 

筋トレや散歩などが精神衛生上いいというのも体が疲れるからです。毎日体をクタクタに疲れさせれば完全な孤独でも幸福感を感じられるのかというとやはりずっとは難しいでしょう。だけど疲れていれば孤独も不幸も忘れ幸福感を感じやすいというのは覚えておきたいことです。

 

スポンサー

 

 

 

[まとめ]

承認欲求が満たされないと幸福感を感じられないというわけではないと思います。ひとつにはスポーツやら散歩で体をクタクタに疲れさせれば幸福感を感じやすくなります。あとは世間話をできる相手がいればそこそこ楽しく生きていける気もします。

残りの人生で他人と議論口論はしないようにする

f:id:dorankun:20180927010824p:plain

[他人と議論すると必ず負けた]

過去を振り返るともう一生分他人と議論や口論を繰り返してきました。もう十分すぎるほどしてきました。残りの人生は他人と議論や口論はしないでおくつもりです。議論した時のことを思い出すとほとんど負けてきました。口ベタというのか興奮状態になると口がどもって思ったことがうまく話せません。

 

大体議論をふっかけてくるような奴というのは口が達者な人間が多いです。口がムズムズしていて勝手に動き出すようなタイプです。押しが強かったり声がでかかったりして非常識だろうが理屈に合わなかろうが強引に自分の意見を押し通します。平和主義者の僕としては自分が引けばとりあえず平和になるので引いてしまうのです。

 

結局議論といっても論理の正しさや理屈が通っているかより声のでかさや押しの強さによって勝敗が決まってしまいます。議論すること自体が不毛すぎます。それでも他人と議論の場を持ってしまったのは話し合えばわかるのではないかという希望を抱いてしまうからです。

 

しかし他人と分かり合えないことは十分すぎるほど理解しました。残りの人生を平穏に過ごすために議論や口論をしないで過ごそうと思っています。他人を責めるつもりではなくても質問したりえ提案したりしただけで議論が起こることもあるので注意が必要です。

 

[議論口論は勝っても負けても憎しみが残る]

議論や口論をして勝っても負けても感情的なしこりが残りその後の人間関係にひびが入ります。建設的な議論というのもありますが建設的に話し合えるという状況はすでに問題が解決していると言えます。結局議論が起こってしまえばどちらかが妥協を強いられて感情的にしこりが残ります。

 

他人を憎むというのもけっこう消耗します。それに人間関係が悪化して物事がうまく運ばなくなることも多かったです。どっちみちうまくいかないなら議論などしないほうがいいです。

 

[他人の意見は流しておく]

しかし他人が議論をふっかけてきたときどうするのかという問題があります。何よりも感情的にならないことが大事です。感情的にならない上で相手のいうことを流していきます。のれんに腕押しという感じで相手のいうことをかわしていきます。人間関係は悪化するでしょうが議論しても悪化するのであきらめます。

 

議論しなければならない状態になったことでいろいろあきらめる必要があります。どうせエネルギーを使うなら議論する状況にならないことに使います。過去のトラブルから議論になる可能性を潰していくことに力をいれます。その努力もむなしく議論が起こる状況になればその時点で敗北を認めて相手の言うことも流していきます。

 

この人は話し合いができないなと相手が思うまで相手の話を流してあとは時間がたつのを待ちます。僕はこの方法で人間関係が終わる寸前だった人と現在うまくやっています。半年位たつとお互い感情的なわだかまりも解けて仲良く話し合えるようになりました。下手に議論していたら完全に人間関係は終わっていたでしょう。いつもうまくいくわけではないですが、どの方法を選んだとしてもうまくいくかどうかは結局運なので議論はしないほうがいいという結論に達しました。

 

スポンサーリンク

 

 

[まとめ]

幸いにして仕事でもプライベートでも現在議論する状況から解放されています。ただ運がいいだけなのかもしれません。誰かがけんかのような議論を吹っかけてきたとき自分が試されるでしょう。今の気持ちとしては北斗神拳のトキのように相手の攻撃は流していくつもりです。

鉄拳7で格闘ゲームの難しさを痛感した

 

【PS4】鉄拳7 Welcome Price!!

【PS4】鉄拳7 Welcome Price!!

 

 [始めて1年たっても初心者]

鉄拳7という格闘ゲームがあります。僕は始めて1年以上経つのに今だに初心者の域をでません。何回か心が折れてプレイしない時期もあったのですが1年たつのに今だに中堅にまでいけない状況です。簡単に上手くならないからこそ奥が深く面白いのだとも言えます。

 

どんなジャンルでも上手くなることが難しいほどその世界は魅力もありやりがいがあるのだと思います。ただその魅力こそが新規参入者のハードルを上げてしまいそのジャンルを衰退させてしまうリスクになりえます。格闘ゲームも衰退しているかどうかわかりませんが新しいユーザーが入ってくるのはとても難しいのは確かです。

 

ストリートファイターという格闘ゲームがあります。スーパーファミコン時代にはまったことがあります。その頃は寝る前にコンピューターと1回対戦してから寝ていました。今はオンライン対戦がメインで人間同士で戦います。人間相手はコンピュータと違い容赦ないというかボコボコにされます。

 

だからこそ勝った時に喜びが大きいのかもしれませんが多少なりとも勝てるようになるのに僕の場合は2,3ヶ月はかかりました。それもあくまでも初心者同士の間の話です。ある程度自分の思うままにキャラクターを動かせるようになるのにそれくらいはかかると言えます。

 

その状態になっても格上と戦えばボコボコにされます。上級者になるのにはかなりストイックな努力が必要となります。ある上級者は上達するためにはとりあえず1万試合やってくださいと言っていました。時間や経験や練習が必要なのです。そういう世界ということです。

 

僕のように1日2試合気分転換にやっているようでは永遠に上級者にはなれないでしょう。でもそれでも楽しめればそれでいいかなと思ってもいます。マッチングシステムによって同じようなレベルの人間と対戦することができます。そうして勝ったり負けたりして楽しい時間が過ごせればそれでいいのです。

 

仮にうまくなったとしても結局同じレベルの人間と勝ったり負けたりしてやっていることは同じです。もともと趣味なんだから楽しみ方は人それぞれなんだろうと思います。

 

[覚えなければならないことが多すぎる]

上級者になろうとすれば覚えなければならないことがとてもあります。キャラクターが何十人もいて自分が戦う相手の特徴をつかむ必要があります。しかし一人のキャラクターには100近く技があります。実際に使う技はそこまで多くないもののそれらを把握するのはかなり大変です。

 

この技は右に動くとよけられるとか、しゃがんで回避できるとか、この技をガードしたらこの技で反撃できるとか覚えることがやたら多いのです。恐らく上級者でも完璧には把握することができないかもしれません。さらに新キャラクターが追加されたり技が追加されたりします。

 

戦う舞台によってギミックがありそれを把握する必要もあります。忙しい現代人が気分転換にやるにはあまりにも多くの時間やエネルギーを注がないといけません。

 

[長時間の練習も必要]

知識だけでなく長時間の練習も必要となります。知識があったとしても実戦でそれをきちんと使えるとは限りません。かなり難しいです。適切なタイミングで確実にボタンを押す必要があるからです。相手と戦っていて慌ただしく動き回っている最中に普通はまずできません。

 

練習で完璧にできたとしても実戦ではあせっているのかうまくできないのが当たり前です。練習と試合を交互に繰り返していく必要があります。ある意味では受験なみに努力する必要があります。

 

スポンサーリンク

 

 

[まとめ]

格闘ゲームには時間と努力が必要なため新規ユーザーを獲得するのは難しいでしょう。ゲームにそこまで様々なことを注ぎ込む人間は限られているからです。ただそれでも一定の人間が続けているのはやはり面白いからでもあります。そして一度うまくなるとやらない時期があってもそんなに実力は衰えません。

 

ある程度楽しめるくらいにうまくなったら同じレベルの人間と楽しみ続けるというのもありだと思います。あと自分がプレイすると上手い人がどれだけすごいかよくわかるので試合を観戦して楽しむというのもありです。

友人関係を長続きする方法

f:id:dorankun:20180923003822p:plain

[相手のことを知ろうとしない]

環境が変わると人間関係がリセットされてしまうことが多いです。僕は一度仲良くなった人とは1年に1回でも会って交流を続けたいと思うタイプですが残念ながら関係は消滅していきます。やはり現代人は忙しくて利害関係のない人間に時間を割くことは難しいのでしょう。

 

利害関係のない人間との交流が一番くつろげるといいつつも本当に利害関係のない人間に会うための時間コスト、交通費やら食事代の時間コストをかけてまで会いたくないというのが本音なのでしょう。まあ僕がそこまで会いたい人間でないから仕方ないのですけど。それでも10年以上交流が続いたケースもありました。

 

その場合は何が良かったのかがわかれば自分が交流したいと思うひとと交流を長続きできる可能性が高まるかなと思い考えてみました。長続きした交流関係では一切相手のプライバシーに関して知りませんでした。共通の趣味を持っており趣味の話題か世間話のどちらかです。

 

月に1回は3人で会う関係が10年以上続きました。プライバシーを共有しなかったということが理由の一つではないかと思います。親しくなって何年もたつと相手に対して関心もでてきてプライバシーにも興味がでてきてしまいます。でもそこは触れないのが楽しい時間を長続きさせる秘訣です。

 

下手にプライバシーを知ると相手の触れて欲しくないところに触れてしまったり言ってはいけない言葉を言ってしまったりします。振り返ると本当に仲が良かったのに関係が悪化して残念な人間関係の終了をしたことがあります。原因はプライバシーの共有だったと思います。

 

[2人の親友はいなくなった]

学生時代からずっと交流が続いた親友が2人いました。10代20代の頃は仕方ないことですが自分の考えや気持ち、自分の生活に起こった出来事もすべて話していました。ベッタリとした関係でした。ずっと良好な関係が続いていましたがある時期から関係が悪化しました。

 

2人ともお説教やアドバイスを僕にし始めました。僕がそうされるような人間だったのでやむを得ないのですが・・・僕は迷惑に思い反発したり無視したりして喧嘩のようなことにもなりました。他人のことだからほっておけばいいのにある意味僕のことを大切に思っていたと言えなくもありません。

 

だけどわだかまりやしこりが残ってだんだん会わなくなりました。一人は自然消滅して一人はメールでもう会わないことを伝えました。プライバシーを共有しすぎたことが結果として関係を終わらせました。親しくなるとプライバシーを共有したくなるのですがそれが親しい関係を終わらせてしまうということになってしまいます。

 

[会う理由があれば関係は続く]

たとえプライバシーを共有しなくてもどれだけ相性が良くて一緒にいると楽しくても会う理由がないと疎遠になります。無理に理由を作ってまで会わなくてもいいのかもしれませんが交流を続けたい相手がいるなら理由を作るのも一つの考えです。僕はやらないですがゴルフをする人はそれが会う理由になります。

 

ゴルフをする人を見ているとけっこう長く交流が続いていてしかもとても仲良さそうです。ゴルフはコミュニケーションツールとして優れていると言えます。しかしゴルフやスノボー、麻雀などを強要してくる人間が過去にいて今ひとつやる気になれないです。自分が好きなものを他人にもしてほしい気持ちは理解できますが押しつけがましくならないよう注意が必要です。

 

本当に交流したい相手ならその人の好きなものをしてみるのもありです。だけど残念ながら本当に交流したい人とはなぜか趣味が合わないことが多いです。

 

スポンサーリンク

 

 

[まとめ]

友人関係を長続きする方法を考えてみましたが、いつかは友人関係が終わり孤独になります。本当の意味で仲良くなることはできないのかもしれません。ただ一時でも楽しい時間が過ごせれば感謝すべきなのでしょう。

勉強を脳が拒絶しているのがつらい

f:id:dorankun:20180921005004p:plain

[勉強がつらかった]

学生時代から勉強するのがつらかったです。脳が何かを覚えようとするのを拒絶している感じで苦痛でした。勉強ができないというわけではなかったですが通常の人より苦労していたように感じます。もっとも多くの人はみんな勉強が嫌いで仕方なくしていたと思います。

 

勉強が好きな人とか知的好奇心を満たしたいとか、そういう動機でしていた人はごくわずかでしょう。30歳すぎても受験勉強の夢を見てうなされるという人の話を聞いたことがあります。みんな苦痛を我慢して我慢大会をしていたのだと思います。だけど他人と比較しても自分は苦痛が大きいのではないかとよく思いました。

 

勉強していると過去の嫌な出来事が次から次へと思い出して怒りが沸いてくるのです。勉強というストレスが過去の不快な思い出を呼び起こすようです。勉強というものに対して体全体から拒絶反応を出している感じです。こんな調子でやっているので勉強ができないわけではないけど優秀な生徒になれませんでした。

 

思うに勉強も理解するというところまでは楽しいという感覚があります。たとえば歴史でも内容を理解したりどうしてそういう事件が起こったのかを体系的に知ることは楽しいです。しかし暗記をしようとした瞬間に勉強が拷問に変化します。結局勉強が苦手ということは暗記が苦手と言えます。

 

最近、一流大学を卒業した学生に仕事を教える機会があったのですがその記憶力の良さに驚きを隠せませんでした。他の人間が1週間かけて覚えることをわずか1時間で完璧に覚えていました。勉強をつらいと思ったことはないそうです。記憶料がいいか悪いか、それが先進国では人生を左右してしまいます。

 

根性とか気合でカバーできる部分も大きいですが一度しかない貴重な人生で何百時間何千時間と苦痛な時間を過ごさないで済むならそれに越したことはありません。記憶力も才能のひとつなのでそれがなかった自分の運のなさを恨むしかないです。

 

[一日30分を続ける]

大人になっても仕事のことやら資格試験などで勉強をしなければならないことはあります。大人になってまでプライベートで苦痛の時間を過ごしたくないところですが生きていくにはやむを得ない場合もあります。そういう場合は1日30分だけするようにしています。

 

1日30分でも続けていけばだんだん調子がでてきて苦痛でなくなっていくこともあります。大事なことは欲張らないで続けることを重視することです。結局暗記が一番つらい作業となることは変わらないですが30分なら我慢できます。一度覚えたことは2回目、3回目と回数を重ねるほど楽になるので辛抱強くするしかありません。

 

1日30分を勉強する自体は難しくありません。しかし続けるとなるとけっこう難しいです。欲張らずにただひたすら続けることを考えるのです。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[時間を大切にしたい気持ちとの葛藤]

人生の時間の大切さを痛感するようになっていらいやりたくないことを1秒でもやるのがもったいなく感じるようになりました。勉強も楽しくて自分が好きなら問題ないのですが必要に迫られてやむなくするのが時間を浪費している感じでつらいです。睡眠を忘れて熱中するようなことだけに時間を使いたいのです。

 

しかしその一方で生きていくということはやりたくないこともやむなくやっていくことだという思いもあります。最近その2つの考えのなかでゆれています。好きなことだけして生きていくと言って勉強を投げ出せばかなりの確率で人生が良くない方向に流れていくでしょう。

 

生きるということはつらい苦痛に満ちたものだという思いも頭に浮かんできます。少しでも好きなこと熱中できることに時間が多い人生を過ごすためにどうすればいいのか考え続けたいと思っています。

 

 

吉澤ひとみ容疑者の事件から交通事故をなくす方法を考えた

 

f:id:dorankun:20180918233118p:plain

www.fnn.jp

 人気タレントの吉澤ひとみ容疑者の飲酒運転、ひき逃げは驚かされました。さらにその事故の動画がネットに出回ってその衝撃が持続しています。僕は10回くらい見直しました。人をはねたあとに去っていく車に迷ったような動きはなく逃げることに躊躇していないです。

 

そして人がはねられた後も何事もなかったかのように去っていく他の通行人が批判の対象となりました。ギャグマンガの「こち亀」で車で人がひかれても平然と歩く人々がギャグとして描かれていたことがありましたがあれはギャグではなく現実そのものだったわけです。

 

今回の場合はひかれた人はすぐに立ち上がって見た限り軽傷であることがわかったためというのもあったとは思います。さすがに動くことができないくらい傷を負って自分しかいなかったらみんな対応するのではないかとも思いました。それはともかくとして交通事故というのはなくならないものです。

 

今回の事件で交通事故について考えることが多くなり交通事故をなくす方法を改めて考えてみました。

 

[時速50キロしかスピードを出せないようにする]

普通自動車ってアクセルを全開にすれば時速200キロでも300キロでも出せてしまいます。でもその機能っていらないのではないかと思っていました。車なんて時速50キロも出せれば十分です。江戸時代みたいに九州から東京まで行くのにも歩いていたことを考えればものすごいスピードです。

 

交通事故の原因の多くはスピードの出しすぎと聞いたことがあります。100人いれば2,3人は調子に乗ってスピードを出す人間が必ずでてきます。いくら取締をしようが厳罰にしようが調子にのる人間をなくすことはできません。しかし車がもともと時速50キロまでしかでなければそれ以上はだせません。

 

もっと言えば時速30キロでいいのではないかという気もします。交通事故は劇的に減るでしょうし仮に起こったとしても大惨事になる可能性も劇的に減らせます。

 

[免許を取得するための試験をもっと難しくする]

車の免許を取るのは大変と言えば大変です。だけど基本的にお金さえ出せばだれでも取得できるものではあります。教習所に行って卒業して形ばかりの学科試験に合格すれば取得できてしまいます。この誰でも取れるということが粗悪なドライバーを生み出していると言えます。

 

この学科試験をもっと難しくすべきです。せめて吉澤ひとみ容疑者が合格できないくらいには。飲酒運転やひき逃げする人間も減ると思います。司法試験くらい難しくすべきとは思いませんが地方の国立大学と同じレベルで主要5科目受験するようにすればいいと思います。それでも粗悪なドライバーはでてくるでしょうが数は激減するのは間違いありません。

 

[車にもっと税金をかける]

今でも車は税金の塊ですけどタバコと一緒でもっと税金かけるべきです。早い話が車の数が多すぎるのです。高ければ買う人が減ります。若者の車離れと言われていますがこれもタバコ離れと一緒でいいことだと思います。本当に仕事や生活で必要な人だけ乗ればいいのだと思います。

 

生きていくためにどうしても必要な人は申請すれば税金が優遇されるというシステムでいいと思います。これも抜け道として使われるでしょうがある程度はやむを得ません。あとお金を持っている悪質ドライバーを排除できないということも言えますが全体の数を減らすことが重要と考えます。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[まとめ]

なぜ交通事故をなくす抜本的な対策が取られないかといえば経済の問題とかいろいろ複雑に絡んでいるとは思いますが本当の理由はみんな自分は交通事故に合わないと思っているからだと思います。運転をする人は自分は事故を起こさないと思っています。僕も自分は交通事故にあわないだろうなと思って生きています。

 

人間は誰でも自分が特別であると無意識に思ってしまってその自分に特別な不幸が訪れるとは思えないのです。でも現実は事故に合わないと思っている人が事故にあって死んでしまいます。もしリアルに危機感を感じれたら経済の問題があろうが生活の問題があろうが万難を排して対策をとるでしょう。

 

現在は経済や生活のためにはある程度事故が起こって犠牲者がでるのは仕方ないと割り切っているように見えます。そうやって割り切っているのも犠牲者には自分がならないと思っているからです。交通事故対策を取るにはそういった意識を変える必要があります。

 

VRで交通事故の体験をするとか交通事故を起こした人の刑務所の生活、その後の人生などをもっとみんなが知るようにするしかないのだと思います。

人生のタイムリミットを意識する

f:id:dorankun:20180916220759p:plain

[嫌な事をしている場合ではない]

誰でも考えることではありますが僕も人生の残り時間というものを意識することが多くなりました。交通事故や犯罪に巻き込まれていつ死ぬかはわかりませんし、そういうことがなかったとしても何歳まで健康でいられるかもわかりません。そう考えると健康でいられる今この瞬間があまりにも貴重な時間だと改めて認識します。

 

そういった理屈は10代20代の頃でも知っていたのですが何となく自分は死なないような気がしていつまでも健康でいるような気持ちでした。そのためあまり時間に対する危機感は持っていませんでした。40代になって残り時間が少ないことをリアルに実感しています。

 

だからもう嫌なことをしている場合ではないなとよく感じます。特にプライベートで嫌なことをするなどもってのほかです。そのため自己啓発的なことをするのをやめています。自分のスキルや価値を高めようと読みたくない本を読んだりしたくない勉強をやめました。

 

プライベートの時間に苦痛に耐えて勉強や読書は今となってはあまりに時間がもったいないです。苦痛で過ごした時間はいくらお金を積んでも返ってはこないのです。残り時間はあまりに貴重すぎます。10代20代からそういう気持ちで生きていればよかったと思わぬでもないですがせめて残りの時間を大切にしたいです。

 

[好きなことに集中していたい]

嫌なことをしないということと並行して好きなことに集中していたいです。といってもどれもたいしたことではないですけど。小説を読むことと書くこと、漫画を読むこと、おいしいものを食べること、睡眠をしっかりとること、散歩をすること、格闘ゲームをすることです。

 

どれもたいしたことではなくお金もそれほど必要としません。でも自分にとっては幸福を感じる時間なので大切にしたいのです。JOJOのワムウは「強者こそ真理。勇者こそわが友。俺にとってそれさえ貫いていられれば永遠の命はどうでもよかったのだ。」というセリフを言っています。

 

僕もこれらの幸福な時間を守ることを貫ければ永遠の命などどうでもいいという気持ちです。残りの健康時間を可能な限り楽しい時間で埋めていきたいです。

 

[面倒な人間関係は断捨離]

苦手な人や場所でも人間的成長のためには避けてはだめだというような考えがありました。そういう考えは何年も前に捨てたつもりですがまだ自分の中にわずかに残っていました。だけどそのわずかの部分も最近は捨てることができたように思えます。「人間的に成長しようとしないのは馬鹿だ」というようなセリフが小説の中にありましたが馬鹿でけっこうという気持ちです。

 

どうせバカにしている人間たちもあっという間に健康時間がなくなって死んでしまいます。その人たちに認められたからといって自分が幸せになるわけでもないのでかまわないのです。飲み会なども必要最低限だけ参加してそれ以外はお断りしています。立食パーティーも知人のいないパーティーほど無意味なものはないのでなるべく参観しないようにしています。

 

他人との交流は人間が幸せを感じるために重要であると思いますが楽しく世間話をできる人が数人いればいいかなと思っています。その他は断捨離しています。

 

スポンサーリンク

 

 

[まとめ]

時間の貴重さは中学生の頃からさんざん教えられていることではありますが僕の場合あまり大切にしてこなかったような気がします。だからこそせめて残りの時間を大切にしたいと改めて思った次第です。ずっと前に「時間を忘れている時が一番時間を大切にしている気がする」という言葉がCMでありました。

 

この言葉が今でも正しいと思います。時間を忘れている時間を大切にして生きていこうと思います。

Sponsored Link