自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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ブラック企業は犯罪組織

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[死ぬ前にブラック企業を辞めない理由]

ブラック企業に関することで多くの人が不思議に思うことはどうして過労死したり自殺したりする前にやめないのだろうかということです。死ぬくらい追い詰められたり覚悟を決めているなら会社をやめることのほうが楽なんじゃないの?という疑問です。ブラック企業で働いていた人たちの話では疲れきっていて辞めるという選択肢が見えなくなるということです。

 

僕も知り合いから直接話を聞いたことがあるのですが、ブラック企業で働いているときは車が自分に突っ込んでこないかなとよく思ったとその人は言ってました。死なないまでも入院すれば会社に行かなくてすむと真剣によく考えていたそうです。思うに日本人の学校教育で真面目な人間を大量生産することに成功していてそれ自体はすばらしいことかもしれないのに皮肉にもその真面目さのために死なざるを得なかった人たちも大量生産しているようです。

 

[辞めてもブラック企業は存在し続ける]

そういう人たちへのアドバイスとしては常に辞める選択肢もあると認識すること、家族や友人に相談することなどがあります。自分の体や心を大事にできるのは結局自分しかいません。どれだけ会社のために働こうが体を壊せばポイ捨てされるのは目に見えています。状況によっては辞めるということを選択肢に入れたほうがいいというアドバイスは確かに有益です。

 

しかし辞めた後もブラック企業は存続し続けます。違法行為を行っている組織がどうどうと存在を許されているのに違和感を感じてしまいます。麻薬密売組織に働いている人がそこで働くのがつらいと相談してきたらもちろん辞めるようにアドバイスするでしょうが警察に行くようにも必ず言うはずです。個人でどうこうできる問題ではなくて公的な機関に助けを求めて組織の人間は逮捕されるはずです。

 

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[ブラック企業は競争力が高い]

 振り込め詐欺のグループとか窃盗団は逮捕されていくのにブラック企業は放置される現状が問題をいつまでも解決させないのです。サービス残業させたり有給を消化させなかったり残業時間が50時間を超えたらすぐに経営者を逮捕して実刑にするくらいの勢いがないとブラック企業の問題は解決できないでしょう。つまり現状では永遠にブラック企業は存在し続けるということになります。

 

脱税したら問答無用で逮捕されます。税金払ったら経営が成り立たないなどという言い訳は一切通用しません。経営がどうなろうが税金は払わなければなりません。残業代も有給消化に必要な費用も払わなければならないものです。払わなかったら逮捕されるくらいでないと法律など守られません。税金も払わなくても特に何もなければ誰も払わないでしょう。

 

そして税金をきちんと払う会社と払わないでも許される会社があったとしたら圧倒的に税金を払わない方が競争力が高くなります。きちんと税金を払っている会社は競争に敗れて消えて行き税金を払わない会社だけが残っていきます。ブラック企業も同じことが言えます。ブラック企業の方が競争力が高くなってしまいます。それを阻止するためにも経営者や経営サイドの人間は逮捕するべきです。

 

この記事を書いているときにコカインを使っていたということで俳優のピエール瀧が逮捕されました。ブラック企業の経営者はコカインやっているより悪質と言えます。大勢の人間のお金や時間、命や健康を奪っているのですから。ブラック企業の経営者はさっさと逮捕できる社会になってほしいです。

Amazonプライム動画の凶悪を見た感想

 

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基本的に動画はNetflixで見ていてAmazonプライム動画はほとんどみていませんでした。お金は払っているのでたまには見るかということで何となく凶悪という映画をみました。本も出版されていてあらすじは知っていたのも見る理由のひとつでした。見ていて幸せな気持ちには絶対なれない映画ですが、とにかく圧倒的な迫力があり引き込まれて最後まで見てしまいました。

 

[日本の治安は本当にいいのか] 

あらすじを簡単に書いておくと、雑誌記者が死刑囚に取材を続けていく中で先生と呼ばれる恐るべき悪人の存在を知り先生の罪を告発するべく奮闘するという話です。これは実話を元にした話しらしいのですが、にわかに信じがたいくらい簡単に人が殺されていきます。これって日本の話し?と思うくらい人の命が安いです。ゴルゴ13の世界観でした。

 

しかし現実の日本でも言うほど安全でも平和でもないのかもしれません。行方不明者が年間何千人もいると聞いたことがあります。中には犯罪に巻き込まれて死体ごと消されてしまった人もけっこういるのではないかという気がします。一般人が知らないだけで北斗の拳のような弱肉強食の世界が日本にあるのかもしれません。警察も一生懸命働いているのかもしれませんが優先順位をつけて捜査するしかありません。

 

地味な事件はぶっちゃけ無視せざるを得ないでしょう。表にでないだけで地味に見える事件は闇に葬り去られるわけです。僕もある日、突然いなくなっても警察はあまり動いてくれないだろうなと思うと悲しい気もします。家族や職場の人間は騒いでくれるでしょうが世間的には猫が一匹いなくなったと同じでしょう。実際、急にいなくなったとしても捜しようがないというのもあります。

 

[現代の暴力団はイケイケの人はいるのだろうか]

この映画の死刑囚は元暴力団幹部で保険金をかけて人を殺しては大金を稼いでいました。この暴力団幹部には弟分がいるのですが、この弟分の役者がいい味をだしていました。暴力団幹部に絶対の忠誠を誓っていて手足となって働くのですが迫力のある役者でした。兄貴を軽く見る相手にすごんでみせたり、「俺はあの人のためになら死ねる」と言ってみたり悪党なんだけどその忠誠心の高さは何か美しく感じてしまいました。

 

それにしてもどんどん人を消したり他の暴力団幹部を襲ったりこんなイケイケの人は現代でも本当にいるのでしょうか。暴力団新法が施行されて以来、なるべく警察に捕まらないように地味に活動しているという話も聞いたことがありますが実際はどうなんでしょうか。ここまでイケイケの人はさすがに少数派だろうとは思います。命がいくつあっても足りなさそうです。

 

[メディアの役割は重要]

この映画を見て一番思ったことはメディアの役割の重要性です。この映画の事件も雑誌の記者が粘り強く取材を続けなかったらいくつもの殺人事件が闇に埋もれていました。雑誌記者が警察に訴えに行った時も冷たく対応されます。やる気のない感じで「上に報告しておきますよ。はっきりするまで記事にしないでください」と言われてしまいます。

 

この警察の対応はリアルなのではないかと思いました。これは警察がいい加減ということではなくて年中、頭のおかしな人間を相手にしたり、あるいは事件の数が多すぎていちいち親切にしていられないのではないかと推察します。とにかく警察の冷たい対応に手応えを感じなかった編集部は警察の了解を得ずに記事にしてしまいます。マスコミが報道して世間が騒いだら当然警察も動き出します。

 

マスコミが報道しなければ政治家も警察も役所も動かないということは多いのではないでしょうか。今はネットの普及により新聞も雑誌も売上が低迷して将来は経営が成り立たないという可能性もあります。そうなったとき、政治家も警察も役所も怖いものがなくなり暴走するかもしれません。メディアにはなんとしても存続して欲しいと思いました。

 

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[まとめ]

この映画を見て一番感心したことはみんな演技がうまいということでした。プロの役者なのだから当たり前と言えば当たり前ですがドキュメンタリーを見ているような気持ちになりました。暗い気持ちになるので積極的に勧められませんが迫力のある映画を見たいなら見る価値があります。

2019年2月の支出と振り返り

 

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床屋 1800円

薬局  2000円

吉野家牛丼 440円

モスバーガー 2870円

スーパー192円

将棋アプリ 486円

Netflix   864円

ノート 1000円

携帯電話 1767円

キンドル電子書籍 11753円

動画 413円

県民共済 2000円

引き落とし手数料 216円

家賃 50000円

計 75801円

 

[床屋 1800円]

できたら平日に床屋に行きたかったのですが結局土曜日に行かざるを得ませんでした。前に並んでいる人は8人くらいいました。まじかよ・・と思いましたが髪も伸びきっておりこれ以上先延ばしできませんでした。髪が本当にうざくなってしまったので。最新刊の幼女戦記11巻を読みながら待っていたらあっという間に自分の番になりました。

 

ただ自分の後に並んだ人が一人しかなかったのがすこし悲しかったです。自分の後ろに並んでいる人がたくさんいると少し優越感があるものですが自分がずっと列の最後のほうというのは何か悲しかったです。

 

[薬局 2000円]

最近の薬局は薬だけでなく食料品も売っているようです。目薬を買いに行ったついでにバナナとヨーグルトを買いました。レジに行ったらポイントカードを勧められて思わず入ってしまいました。1050円ほどの買い物だったのですが1000円単位のポイントの購入だっため2000円分ポイントを買ってしまいました。

 

[吉野家牛丼 440円]

午前中だけ職場に行く用がありました。お昼ご飯は久しぶりにココ壱番でカレーを食べるかと思ったら客が行列を作っていました。カレーを食べるのに並んでまで順番をまつのは少し違うなと思い牛丼を食べました。久しぶりに食べた牛丼はとてもおいしかったです。

 

[モスバーガー 2870円]

2ヶ月ぶりにアルコールを飲みました。買ってあったビールを飲みました。つまみとしてチーズバーガー4つ食べました。久しぶりに食べたモスバーガーはおいしかったですが最後のほうは作業のように食べていました。やはり今度は違う種類のバーガーを食べようかと思います。

 

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[2月を振り返って]

超S級のモンスターが再び僕の現場に戻ってきました。前回と違い仕事上あまり接触することはないので一応平穏に過ごせていますが一度事件が起きてしまいました。ささいなことでブチ切れされました。ほとんど接触がないはずなのにたまに振り回されます。数年前はよく毎日関わっていたよな過去の自分の精神力の強さに感心しています。

 

職場の貴重品が一時的に紛失しました。休日に連絡が来てうざかったです。最終的に見つかったからまあ良かったです。再発防止の対策もとりました。しかし休日に連絡したところで貴重品が見つかるわけでないので連絡は週明けでよくない?と思ってしまう僕はダメなのでしょうか。自宅にいる人間に連絡しても見つからないでしょと感じてしまいました。

 

そんなこんなで2月はいろいろありましたが終わってみれば一応平穏でした。というのも同じ部署にいる人間はまともで話し合いが通じる人間ばかりだからです。事件のないほとんどの日は平穏に過ごせました。事件がたまにあるのも平穏な日々のありがたさがよくわかります。2月も無事に過ごせたことを感謝したいです。 

自分が発達障害者と気がついた理由

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[発達障害者として苦しんだ過去]

今回は僕が「自分は発達障害だったんだなあ」と気がついた時のことを書こうかと思います。僕はなぜか他人に嫌われ、かつその理由が自分ではわからないということがよくあったということは何回か書いたことがあります。当時は発達障害という言葉もなかったのでその可能性を考えることさえありませんでした。自分に好意的だったと思っていた人が突然敵対的な言動を始めるのには戸惑いますし傷ついたりしました。

 

それで自分が何か病気なのではないかという発想にはなかなかなりませんね。相手に対する不信感や怒りを感じるだけでした。相手も親切に「君のこういうところが良くないから直したほうがいいよ」と建設的に話してくれるわけでもなくだいたい感情的に怒りをぶつけるだけです。それもしかたないことではあります。僕も嫌いな相手にそんなに親切にできないですからね。

 

そういうわけで自分が何か問題があるという発想にはあまりいたりませんでした。もちろん多少自分にも良くないところがあるかなと思ったこともあります。ですが自分を非難する人の中にも頭がおかしいと思わざるを得ない変な人もけっこういたことから悪いのは相手だと思ってしまいました。でも明らかにまともと思われる人からも嫌われた時には悩みましたが相手の悪いところを考えて自己防衛していました。

 

[自分が発達障害者と気づいたきっかけ]

そんな僕が明確に自分は発達障害だったんだなと気づいたきっかけがありました。それは強烈な発達障害者と出会ったということです。しかも2人同時でした。その強烈な2人と仲良く仕事していこうと最大限努力してましたが、いつの間にか厳しい態度で接して冷たい態度をとるようになりました。そして気がつきました。この2人はかつての自分なのだと。

 

自分がその2人に冷たくしたように僕も他人から冷たくされていたのです。その2人が発達障害であると同時に僕自身も発達障害であったのです。かつての自分自身が他人に嫌われたり非難されたりしてもしかたないなと思いました。それでも自己弁護させてもらうなら僕はその2人ほど強烈な発達障害ではなかったです。中途半端であったがゆえになかなか気がつかなかったと言えます。

 

[強烈すぎた発達障害者] 

その2人のうちの1人のA君の特徴を説明するとまず光に弱かったです。LED以外の電灯はまぶしいと言って職場でサングラスをしようとしていました。カードキーをすると心臓に悪影響があるといって首からかけたがらず手で持っていて紛失しました。勤務時間中に職場からなんだかんだと理由をつけて離れたがりました。遅刻の常習犯でした。仕事の覚えが以上に遅かったです。

 

さらに風邪でもないのにいつもマスクをしようとしていました。それでヒゲを伸ばしたりしていました。しかし問題の本質はコミュニケーション能力のなさでした。コミュニケーション能力の無い僕から見てもこれはちょっとと思うレベルでした。僕以外の人間と次々とトラブルを起こしていきました。僕は最後まで理解者であろうとしましたが、途中で無理になりました。

 

もう一人のB君はロボットのような話し方や動き方をする人でした。B君は異常なまでに他人の感情に気が付くことができず人の神経を逆撫でにしてあちこちでトラブルを起こしました。僕は話し合って理解し合おうと何回も個人面談しました。しかし2時間ノンストップで話し続けられ心が折れました。話し続けられるということも発達障害者の能力の一つらしいです。

 

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[住みやすい社会を願っている]

幸いなことにA君もB君も転職していきました。冷静に振り返ると彼らは僕自身と同類だったのだと気がつきました。さすがにそこまでひどくないと自分では思っていますがしょせん同じカテゴリーの人間だったのです。今でも彼らともっとうまく付き合うことはできなかったろうかと思い出すことがあります。

 

そして反面教師として彼らの言動の逆をするようにしています。さらに年齢を重ねることで発達障害の症状は緩和しているように思えます。そのおかげで今はあまりトラブルもなくいちおう平穏に過ごせています。

 

発達障害の人が適切な薬を飲んだら精神が安定してコミュニケーションできるようになったという話も時々聞きます。個人的には薬で解決するなら薬をもっと気軽に手に入るよう社会になって欲しいと思います。世の中の圧倒的多数は発達障害でないためかなかそうはならないようです。

 

それでも社会は少しずつよくなっているのでそのうち発達障害やうつ病も風邪と同じように薬を飲んで寝ていれば治るようになるかもしれません。

親友同士で憎しみあうようになるのはなぜか

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基本的に僕は誰とでも仲良くしたいと思っているし少なくとも傷つけあうような関係にはなりたくないと思っています。だけど気がつくと周囲の人間から嫌われているということがよくありました。しかも自分が好意的に思っていた人からもひどく嫌われているということもあり、当然かなりショックを受けました。いい年をした大人が家に帰って泣いたこともあるし、ほんとに一睡もできないこともありました。

 

自分では悪気も敵意もないのになぜか嫌われます。やはり理由がよくわからないところがつらかったですね。今ならその理由がよくわかるのですが当時はほんとにわかりませんでした。理由は僕がいわゆる発達障害者だったのです。さらに躁うつ病にもなり暗い雰囲気だったので嫌われない方がおかしいくらいだったのでしょう。

 

とにかく職場ではよく嫌われたり憎まれたりしていました。職場で嫌われるのは仕方ないとしても僕は親友2人からも嫌われました。仕事関係で嫌われるのはともかく親友に嫌われたのは不思議と言えば不思議です。2人の親友のうち一人は小学生の頃からの付き合いでもう一人は大学生からの付き合いです。どちらも親友と言っていいレベルでよく会っていたし話も合って盛り上がっていました。

 

ところがですね、30歳を越えたあたりで2人とも関係が悪化して憎しみあうようにな感じになってしまったんですよ。でも冷静に考えるまでもなく親友同士で憎しみあうのは不思議なわけです。職場だったら利害関係があったり毎日顔を会わせて少しずついろんなことが積み重なったり仕事でミスをして嫌われることがありうるのはよくわかります。

 

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だけど社会人になってからの友人なんてそんなにしょっちゅう会うわけではないし利害関係もなく仕事でミスして嫌われることもないのになぜ憎しみあうことになるのか。僕の場合、理由の一つとしてはメールの存在がありました。ちょうど僕が20代の頃に携帯電話、インターネットが普及していきました。

 

そんな中で人生で始めてメールをお互いやり始めたのですがメールに関しての暗黙の了解もルールも何もないまま試行錯誤していました。そんな中なぜか親友2人のうちの一人は、けっこう僕がムカつくメールを送ってきたんですよ。本人はそういう意図はなかったかもしれないのだけど上から目線の言葉で読んでてイライラして不快でした。さらにこちらからのメールを無視したり返事もものすごく適当なこともあってそれもイラっとしましたね。

 

さらにはこちらが遊びにでかけようと誘ったら断ってきて、それは別にいいのですがしばらくしたら今度向こうから誘ってきたので今度僕が断ったらなぜかキレてきました。「誘ってきたのはそっちだろ!!」とキレてきたわけです。最初に断ってきた癖になにキレてるんだよと思ったわけですが、そもそもこの小学生のような争いはなんなんだという感じです。

 

さらにはそもそも何の話もないところから突然誘ってきて断ったらキレました。今から考えると相手も精神的におかしかったのでしょう。メールがなかったらそういう精神的におかしい時期に接触を避けられたかもしれません。もう一人の親友とはメールの内容ではないですがやはりメールが原因で関係がおかしくなりました。

 

僕の知り合いのメール友になりたいから紹介してくれと言ってきたんですが、僕が気が進まないから断ったんです。断った理由をもう少し言うと親友とその知り合いの2人に僕はつながってほしくなかったのです。それぞれ僕の違う生活圏にいる2人に僕に関して情報共有して欲しくないという思いがありました。さらには紹介して欲しいという相手が驚いて嫌悪感を示す可能性さえあったのです。

 

だから僕は親友を傷つけないように柔らかく断ったつもりですがなぜか相手が激怒しました。今から考えてもこれは不思議ですね。メル友になる意味も意義も僕には感じられなかったですから。とにもかくにも僕は親友2人をメールがきっかけで失いました。もちろんメールそのものに罪はありません。

 

メールやラインのおかげで疎遠にならずに良好な関係を続けられるという人たちも多勢いるでしょう。だけどメールやラインで簡単に接触できるからこそ関係がおかしくなるという人も同じくらいたくさんいるのではないかと推察します。僕もメールがなければ親友2人と半年とか1年に1回だけ会う関係なら人間関係を続けられたかもしれません。

 

メールやラインってもらうと嬉しい時もあるけどけっこう数が多くなると返信が面倒臭いと感じる時もあります。文章を練ったり言葉を選択したりするのもけっこう時間がかかります。それで返事が適当になったり言葉の選択を誤ったりして人間関係がヒビに入る可能性は高まります。

 

メールやラインのやりとりは3,4ヶ月に1回くらいが人間関係を維持することだけが目的ならちょうどいいと考えています。あるいは1ヶ月に1回くらいやりとりしようとか人によって適切な頻度を決めておいたほうが人間関係が円滑に行くと思うのですがどうでしょうか。

ストレスを操るを読んで

 

ストレスを操るメンタル強化術

ストレスを操るメンタル強化術

 

 

[ストレス本は読み尽くしたのかもしれない]

 またストレス対策本を読んでしまいました。人生の大半を鉛を飲んだような気分で過ごしてきたのでどうやったら明るい気持ちで生きられるのか、どうやったらストレスを少なくできるのかを切実に求めてきました。どうして自分は暗い気分で生きて生きたのか。自分の運命を呪いたくなりますよ。明るくほがらかな笑顔の人を見るとうらやましくて嫉妬していましたね。

 

少しでも明るい気持ちになりたくてストレス本を読みあさりました。人格を改造する本とか少し変わった本も心を平穏にするヒントを探して読んだりしました。そういった涙ぐましい努力の結果あまり明るい気分にはなりませんでしたね。どうしてなんでしょうか。知識だけではどうにもならない部分もあるのかもしれません。年齢を重ねたおかげかその知識をようやくうまく生かせるように最近なりました。

 

とにかくストレス解消に関して知識は豊富なので新しいストレス本を読んでも知っている事が多いのです。特に科学的根拠を持ったストレス解消法は限られてくるのでどの本も共通の部分が多いでしょう。ストレス解消法の共通部分は気持ちを紙に書くこと、歩くこと、自然と触れ合うことです。

 

知っていることが多かったのでもしかすると僕はもうストレス本を読む必要はないかもと思ってしまいました。もちろんストレス本をそんなに読んでことがない人にとっては「ストレスを操る」という本は非常に有意義な本だと思います。心理学の様々な実験結果についても書かれており雑学本としても面白いです。ただ自分はもう読む必要はないのかもしれません。

 

[ストレスを味方に付ける]

この本のポイントはストレスを味方につけるということです。ストレスは必ずしも悪いことではなくストレスを行動の原動力にする方法がいろいろと説明されています。その考え方はまったく正しい。反論の余地もないほど正しいことです。なにかストレスにさらされることがあってもプラスの面はないかと考えることは生きる上で非常に重要なことでしょう。

 

でも本音を言うと行動のエネルギーとか人間的成長とかいらないからストレスを感じたくない生活を送りたいのです。残りの人生をただひたすら平穏な気持ちで行きたいのです。それが無理ならパソコンからデーターを消去するみたいに頭の中からストレスを消去したいのです。そういう本を求めて僕はストレス本を読んでいる面があったようです。

 

もちろんそれは夢物語です。そんな機械みたいに人間の脳はできていないのです。「機械がどれだけ人間に迫ろうともそれは脅威ではない。人間が機械のようになってしまうことのほうが恐ろしい」という言葉をどこかで読んだのですが正直機械のようになってしまいたいです。

 

そんなことを言っていても機械になれるわけでもないのでストレスをプラスに転換していくことを考えたほうがいいのでしょうね。

 

[様々な瞑想法]

 この本を読んでいて面白かったのは様々な瞑想法が紹介されている部分でした。瞑想が効果を表すのがだいたい2ヶ月くらい続けた頃らしいのですが、これはけっこう正しいと思います。というのも僕は去年のクリスマス頃に瞑想を始めて現在ちょうど2ヶ月くらいたったところです。実感としては腹を立てたり感情的になったりすることがかなりなくなりました。

 

僕がやっている瞑想は目を閉じて自分の呼吸を数えるというものです。15分タイマーにセットしてやっています。お風呂で体を洗うように心のアカを落としているような気分です。朝やるといいらしいのですが朝は忙しいので家に帰ってお風呂と食事をすませて一息ついてからやっています。一日外にいて心についた汚れを落としているようで僕としては夜やるほうがいいように感じています。

 

この本ではこの呼吸を数えるやり方の瞑想以外にもいくつか瞑想の種類が紹介されていて興味深かったです。それぞれの瞑想によって目的や効果が違うそうです。そのうち試してみたいと思っています。

 

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[まとめ]

様々な心理学の話など雑学として面白かったです。ただストレスをどうにかしたいということに関しては知っている事が多かったです。それでもまたストレスにどうしようもなく押しつぶされそうになったときに僕を救ってくれるかもしれません。また何年かして読んだら違う発見があるかもしれないし。ストレスに悩んでいる人は買って損はしないと思います。

頭に来てもアホとは戦うな、は正しい

 

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法

頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法

 

 頭に来てもアホとは戦うな、という本が売れているらしいです。僕はこの本を読んでいません。読んではいないけど、本屋でこの本のタイトルを見るたびに、確かにアホと戦うべきではない・・としみじみ思ってしまいます。ほとんどの人のストレスは人間関係が原因で、その多くはアホにからまれて神経を削られるということではないかと推察します。

 

スルーできるなら可能な限りアホからの攻撃はスルーしたほうがいい。それは間違いないです。多少腹が立とうが不快な思いをしようがスルーすることで平穏な生活になるなら問題がない。問題はスルーすることにより相手が反撃がないことに調子に乗ってしつこく絡んでくる場合なわけです。そういう場合はある程度反撃することが正解となってしまいます。

 

 結果としてアホと戦うことになってしまいます。しかしこれはやむを得ない戦いです。まったく反撃しない相手には人間はどこまでも残酷になれる生き物です。現在、大国同士で戦争がないのは抑止力として核をお互いに持っているからです。手をだしたら反撃するよというポーズが平和をもたらしています。

 

人間関係も下手に攻撃すると反撃が面倒だと思われればアホと戦わずにすみます。そうは言ってもアホが自分に対して優越的地位にいる場合もあります。下手に戦えば破滅しかないという状況もよくあります。スルーしても追撃がしつこいような場合、次善の策としては全力で逃げるというものがあります。

 

解決策としては恥も外聞も捨ててとにかく可能な限り関わらないようにすることが考えられます。しかし直接の上司や一緒に仕事をする同僚がアホでしつこく攻撃をしてくる場合逃げようがない。アホにからまれて困っている人はスルーすることも逃げることもできない状況で困っているわけです。

 

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こういう場合はパワハラで訴えるとか公的機関に相談するとか何らかの行動をとって戦うのが正解となりえます。こういう行動は戦うといってもいいでしょう。つまり何が言いたいかと言えばアホと戦はないことが理想ということは嫌というほどわかっているけど戦わざるを得ない時が嫌というほどあるということです。

 

アホと戦うなと言ってなんでもかんでも我慢しているわけにはいかないでしょう。この本を読んでもアホと戦わずにすむわけではないのではないかと思ってしまいます。何が書いてあるのか興味はあるけど今ひとつ買う気になれないのはそんな理由です。

 

アホと戦わずにすむよう最大限の努力をして場合によっては恥も外聞もプライドも捨てて可能な限り譲歩するべきだとは思っています。ただこれ以上は譲れないというところにきたら悲しいけどアホと戦わなければなりません。とにかくアホと接触しない生活が幸福であり理想です。そういう意味で「アホと戦うな」という言葉は正しいです。セミリタイアしたいということも働きたくないというよりはアホを避けたいという理由なんだなと最近思います。

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