自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

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アンガーマネジメント入門を読んで

 

 

アンガーマネジメント入門 (朝日文庫)

アンガーマネジメント入門 (朝日文庫)

 

 

思えば人生において怒りをコントロールできずに爆発させたことが何回もあります。それで人間関係が破壊され後悔したこともあります。逆に怒りを爆発させたことにより相手が態度を改めて状況が改善したこともあります。怒って良かったこともあるわけですが可能な限り怒らないに越したことはありません。冷静に自分の意見をきちんと伝えられることが理想です。もちろん相手が人間関係を壊したくないまともな人間であることが前提となります。今までもこういった系統の本は何冊も読みましたが改めて読んでみました。

 

[怒りを記録する]


様々なストレス本も書いてあることですが、文章で記録することがやはり王道のようです。怒りで気が狂いそうな時は冷静に思考できません。自分が何に対して怒っているのかもわからなくなり、ただ自分を怒らせた相手を傷つけることだけ考えてしまいます。時間がある時に自分が怒りを感じたことを文章化して怒りのレベルも10段階で書いておきます。そして冷静な時に読み返すと、意外とたいしたことではなくて、そこまで怒ることではなかったなと感じる時もあります。

 

また自分が怒るパターンがわかったり同じことで怒っているときもあります。そういった場合は傾向と対策を考えることもできます。なんにしても大切なのは文章化することです。頭の中でグルグルと怒りが回っている状況だと、とんでもない言動をして周囲の人間を傷つけ人生が危機に陥る可能性もあります。強い怒りを感じたら爆発させる前に一度必ず文章化させるという習慣をつけるとよさそうです。

 

[気持ちの上手な伝え方]


この本には気持ちの上手な伝え方に関して書いてあり使ってはいけない言葉、言い方を変えることなど書かれています。確かに同じことを言うにしても、言うタイミング、言い方により他人に与える印象はまったく異なります。自分が怒りを爆発させた過去を振り返っても、「なんでそんな言い方をするんだ!!」ということが原因だったことは何回かあります。

 

僕自身は、相手に対して言いにくいことを言わなければならないときは、言うタイミングや使う言葉をものすごく選んで可能な限り相手を傷つけないようにします。だからこそ相手がそういった配慮を見せないと怒りが爆発しそうになってしまいます。この配慮してほしいという気持ちも冷静に言葉を選択して伝えるべきなのでしょう。言葉を選んで話して欲しいということを伝えるのにも言葉を選ぶ必要があるというわけです。

 

ただそれも最初に書いたとおり相手がまともな人間だった場合に限ります。何度注意しても聞かないとか相手が自分に対して悪意を持っている場合は怒る必要がありますし場合によっては怒鳴らなければなりません。怒らないためにはどうしても自分の周囲の人間がある程度まともであるという条件が必要になります。そしてそれは自分の力だけではどうすることもできない要素であり、それが人生の幸福度を左右してもいます。

 

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[コアビリーフを検証する]


この本にはコアビリーフという言葉がでてきます。どういう意味かと言えば自分が正しいと信じていることです。そしてそのコアビリーフを疑えと本の中で主張されています。自分が正しいと思っていることが破られるとき人は怒りを感じます。しかしそれが本当にどんなときでも絶対的に正しいのかということを疑えということです。コアビリーフの例としては「上司が残業しているうちは部下も残るべき」「恋人は毎日メールすべき」などがあげられています。

 

自分がそれを正しいと信じているのにそれを破る人間がいれば当然腹が立ちます。でもそもそも自分が正しいと思っていたことが間違っていた可能性もあるわけです。腹がたったときは常に自分のコアビリーフが正しいか検証するのが大事とされています。ただこれは生身の人間にはなかなかハードルが高いのも事実です。自分がそれを正しいと信じ込んでいるわけですから自分でそれを否定するのは難しいです。そんなに簡単に信念を変えられるならそもそも怒っていないでしょうし。

 

僕も10年以上一緒に働いている人から結婚の報告がなかったことに怒りを感じたことがあります。僕には結婚の報告はすべきというコアビリーフがあるということになります。これはもしかすると間違っているのかもしれませんが仮にそうだとしても自分の怒りが消えるわけでもないし感情が傷ついたのは事実です。相手に対する不信感や苛立ちは消えそうもありません。コア日リーフを疑うということは可能なら実行したほうがいいとは思いますがなかなか難しいとは思います。

 

[まとめ]


怒りのコントロールが難しいのは怒ったほうがいい時もあるからだと思います。いつでも絶対怒るとよくないのならいつでも怒りを我慢すればいいということになり迷うことはありません。だけど人間関係は複雑で怒りをぶつけるべき時もあります。どういう時に怒りどういう時に怒るべきでないかという難しさがあります。本当は怒るべきときでなくても怒るべきと感じてしまったりその逆もあります。

 

怒りとかストレスとかは一生考えていくべき課題と言えます。もちろん、怒りもストレスも忘れて毎日を送れるということが一番いいわけですが人生のどのタイミングでもそういうわけにはいきません。これからも怒りとストレスについて考え続けていこうと思います。

セミリタイア生活は鉄拳とともに

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セミリタイアする人間にとって格闘ゲームは必要不可欠ではないかと感じています。セミリタイアに一番大切なのは経済問題であることは間違いありません。だけど経済的に安定していも時間を持て余して人生や生活にむなしさを感じてしまう人もいます。平穏や静かさを求めながらも、やはり人間はアドレナリンをだす瞬間も生活に必要なのです。そのアドレナリンをだすための道具として格闘ゲーム、特に鉄拳を勧めたいです。

 

[なぜ今格闘ゲームなのか]

 はっきり言って格闘ゲームは衰退産業です。年々プレイ人口が減っています。理由は簡単で、ある程度楽しく遊べるまでに時間がかかるからです。普通にコンボを出せるようになるまでに個人差もありますが真面目に毎日練習して1ヶ月かかったりします。そしてコンボがスムーズに出せるようになったからといって勝てるようになるわけでもなく依然として初心者のままです。

 

少しやりこんだ人にもボコボコにされるレベルです。正直、時間がなく忙しくて娯楽もあふれている現代では格闘ゲームをわざわざやろうという人はますます少なくなっていきます。しかし忙しい人にもセミリタイアしている人にも格闘ゲームはかなりいい趣味ではないかと考えています。まず短時間で決着がつきます。5分あれば1試合できます。

 

そして勝負が終わった後、自分のプレイを見直せば確実に上達していきます。この現代社会においてあまり自分が何か技術を習得する実感というのは得られにくいです。短時間で遊べて上達を実感できる格闘ゲームはおすすめです。さらにセミリタイアという刺激が少なくなりがちな生活においてアドレナリンがでる瞬間を味わえます。勝った時の喜び、負けた時のショックなどなぜあんなに心臓がバクバクするほど激しいのか不思議なほどです。セミリタイアに格ゲーは必須です。

 

[格闘ゲームでストレスをためない遊び方]

 いいことずくめの格闘ゲームですが欠点もあります。負けるとストレスがたまるということです。特に始めたばかりの頃は必死に練習しても負けてばかりで嫌になってやめる可能性は高いです。初心者はそういう感じでやめていってしまい猛者ばかりが残るのでますます初心者は勝てなくなり、ますますやめていくという悪循環があります。そこで特に初心者がストレスを貯めない方法を考えたいです。

 

まず同じ対戦相手とは繰り返さないということが大切です。上級者になればまた別かもしれませんが初心者が同じ対戦相手に負け続けているとかなりストレスがたまります。同じ相手に5連敗10連敗した場合、初心者は心が折れる確率が高いです。さらに相手によっては舐めプしてきたり死体蹴りしてきたりする場合もありストレスはマックスになります。

 

これが対戦相手が変わると新鮮な気持ちで戦えストレスも緩和されます。同じ相手とは繰り返さないで繰り返したとしても2戦くらいにとどめておいたほうがいいでしょう。次は一日の試合回数を少なめに決めておくということです。初心者が最初気合をいれて一日50戦とかするとほとんど全敗でやはり心が折れます。一日3戦とか5戦くらいにとどめてプレイすぎないようにします。

 

可能なら知り合いや友人と対戦するというのも格ゲーを楽しむ上で効果があります。知らない人間にボコボコにされるより知り合いのほうが負けたときそこまでストレスはたまりません。同じくらいのレベルなら一緒に楽しめるし相手が上手ければいろいろアドバイスをもらえます。あとはYoutubeなので対戦動画を見て楽しむことです。中には話も面白い実況者もいるので参考になるだけでなく趣味としても楽しめます。

 

1日の対戦数を減らして自分のプレイ動画を見返すことも楽しむ上で大切です。対戦しているときは無我夢中でけっこうわけのわからないことをしています。改めて冷静に自分の対戦動画を見るとそういった行動が面白いし次回への対戦の参考になります。

 

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[他の格闘ゲームも楽しむ]

一つの格闘ゲームの一つのキャラクターだけ集中して極めるという楽しみ方もありますが別にプロになるつもりもなければ大会にでて活躍するつもりもないならいろいろな格闘ゲームに手をだしたほうが様々な経験ができて楽しめます。キャラクターも面白そうなものがあれば、どんどん手を出していけばいいです。強くなればなったで相手も強くなり結局負けることも多くなります。強ければ必ず楽しさが増すというわけではありません。そこそこの強さで適当に楽しむのもありです。

 

ある程度メインのゲームを決めたほうが上達はしやすくなりますが遊び方は人それぞれです。他人に迷惑をかけるわけはないので自分の気分に従って好きなように遊べばいいと思います。

 

[まとめ]

格闘ゲームというと若者の遊ぶものというイメージがあります。確かにお年寄りと若者が対戦した場合、圧倒的に若者が有利なのは否定できません。しかしただ楽しむだけなら別に年配の人間でも楽しめます。必ずしも若者とばかり対戦しなければいいのです。短時間で遊べて刺激もある格ゲーはむしろ若者よりお年寄りが遊ぶべきものという気もしています。

 

少なくとも僕はセミリタイアしたらよりいっそう格闘ゲームを楽しんでいきたいと思います。高齢化社会で年配者が格ゲーをどんどんやりはじめれば業界も活性化してますます格ゲーを楽しめるようになります。そうなる可能性は低そうですが僕は楽しんでいきたいと思っています。

理不尽にキレられた出来事

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誰でも理不尽にキレられた経験はあると思います。家庭や学校や職場で多かれ少なかれあると思います。僕も振り返ると何回か経験があります。理不尽なのだからこちらもブチギレて言い返せればいいのですが相手の迫力に押されてしまったり、立場が弱かったりして相手をなだめたり逃げ出したりしていました。不愉快極まりないことは確かですが僕も他人にキレたことは何度かあります。

 

僕にキレられた人には理不尽に感じていたかもしれません。もしかするとキレられたほうはいつでも理不尽に感じるものなのかもしれません。悪意があったならともかくそうでないのにキレられたら普通は怒りや戸惑いを感じます。過去に理不尽にキレられた出来事を振り返り本当に理不尽なのか考えてみたいと思います。

 

[ポケットに手を入れただけで発狂された]

はるか昔、大手スーパーでバイトをしていたことがありました。野菜の品出しをするような仕事だったのですが仕事中はエプロンをしていました。そのエプロンには小さなポケットがついていました。休憩時間になり休憩場所に行こうと思ったのですが一言、社員の人に報告することがあったので報告しに行きました。この時点で僕の頭の中では休憩に入っていました。

 

社員の人に報告している時に特になんの意味もなく片手をポケットに入れました。そうしたら別の社員の人が顔を真っ赤にして「何をポケットに手を入れているんだ!!」と怒鳴りつけてきたのです。ただ怒るというのではなく本当に親や子供を殺されたかのような異常な感情の高ぶりでした。別にこちらは反抗期の中学生というわけではないので普通に言ってくれれば素直に指示に従います。なぜそこまで怒るのか理解できず突然の発狂ぶりにただただ驚いて逃げるようにその場所を離れました。

 

何かというその人は部下の社員を怒鳴りつけていたのでその延長戦上にあったことなのかもしれません。 しかし結局人手が足りているという傲慢さが垣間見えます。人手不足にならないと他人を大切にはできない人なのでしょう。他にも普通に歩いていたら「なにをのんびり歩いているんだ!!こっちは朝から忙しいんだぞ!」と怒鳴られたりしました。仕事のシステム的にもおかしなところがたくさんあり、その仕事は辞めてしまいました。

 

[友好的におかしなところを報告したらキレられた]

職場の他部署の責任者になるべくソフトにその部署のスタッフのおかしな行動を報告したらブチキレられました。その人とは2人でカラオケに行ったり飲みに行ったりと友好的な関係でした。だから当然、友好的に話し合いが終わると思っていたのでショックは大きかったです。本来はその人の部署で処理する仕事を突然、僕の部署に振ってきてこちらの判断で処理したらぶちギレられるということがありました。

 

だったら最初からこちらに仕事を振ってくるなよというのがこちらの言い分なのですが、そういうと角が立つのでそうとうソフトに言い直して言ったつもりでしたがダメでした。その人の部下が勝手にやったことなのでその人は理解してくれるかと思いきや同じようにぶちギレたのでした。こちらの管理だからこちらに任せろという主張でしたが、それはわかっているから、こちらに仕事を振ってくるなというのがこちらの主張でした。

 

圧倒的な怒りに押されてこちらからは何も言えなくなりその場は逃げるようにして去ってしまいました。その人は飲み会でも暴れたことがあり怒りをコントロールするのが苦手なのは間違いないようでした。その人が異動するとき一緒に飲みに行って、このことを謝罪してくれました。しかしどうして怒ったのかが僕にはまるで理解できずその理由を聞きたかったのですが、それを聞くことによりまた怒り出す可能性もあり聞けませんでした。

 

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[顧客にルールを説明したらキレらた]

これは誰でも多少経験していることなのかもしれません。客という立場で調子に乗ってごう慢な態度を取る最低最悪な人間はたまにいます。それでも怒りのレベルと説明したルールの内容のギャップに驚きいつまでも記憶に残っています。さりげなく聞かれたことに簡単なルールを説明したところ烈火のごとく怒り出しました。そこで怒られると思っていないので心の準備もできておらず驚きました。

 

後から考えてもなぜ怒ったのか理解不能です。理不尽に感じるかどうかというのは怒るとは思っていない状況で怒られるということかもしれません。まるで予測していないので精神的ダメージは大きくなります。「そこで怒るのか」という驚きと呆れの感情が混ざり相手に対してネガティブな感情を抱いてしまいます。

 

[まとめ]

勘違いでキレられたり普通に仕事していたら意味不明にキレられたりなんてことは振り返れば何回もありました。その中でも上記に書いたものはなぜか心に残っています。やはり相手の怒り具合がメチャクチャ大きかったり理不尽度が高いと感じるといつまでも心に残るようです。

 

キレずに生活できればそれに越したことはありません。しかし生きている上で時にはキレるということは大事であるとも感じています。固定化された人間関係で周囲にナメられるというのは、逆に理不尽にキレられることになります。一歩譲歩すれば2歩も3歩も踏みこんでくる人もいます。理不尽にキレることは避けたいので常に分析はしていようと思います。

中高年になると本当に叱られないのか

 

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p-shirokuma.hatenadiary.com

 

中高年になると叱られないというブログ記事を読みました。中高年にならなくとも日本では他者を叱らなくなる傾向があるという話でした。果たして本当に日本は叱られない社会なのでしょうか。確かに中高年になれば若者であった時より叱られる機会が減るのは確かです。しかし現実は叱られないどころか、特に間違ったことをしていなくても因縁をつけられ怒られることも人間社会では多いです。

 

クレーマのような顧客はもちろんのこと同僚や上司も油断がなりません。隙を見せれば殴りかかってきます。特に中高年になれば上からも下からもつつかれて注意しまくられることもありえます。注意などという生ぬるい言葉ではすまないくらい厳しい批判にさらされ人格攻撃に及ぶことさえあります。とりあえず中高年になると怒られないということはないはずです。

 

「最低賃金を最低チンチンと聞き間違えたよ、ガッハッハッハ」という言葉に誰も反応しないのはそういう頭のおかしそうな発言をする人と関わるのが嫌だからです。若かろうが年配だろうがどんな社会だろうが関係なくノーコメントにする人が多いでしょう。思うに医者の先生なら確かに中高年になれば誰からも叱られない立場となるでしょう。職業や職種、部署によっては叱られなくなるということは事実かもしれません。

 

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しかし社会全体が叱られない状況というのは残念ながら違うでしょう。パワハラという言葉がこれだけ普及したのもパワハラをする人間が後を絶たないからなのです。世の中些細なことでキレてしまう人がたくさんいます。本当に叱られない社会になっていれば良かったんですが・・ それでも仕事ではなくプライベートでは叱られる可能性は減っているのかもしれません。

 

核家族化が進行して地域社会が崩壊して人と接する機会が減っているので叱られる可能性は減っています。ただ奥さんに叱られまくっている人もいるし、大人になっても親と同居して説教されている人もいます。結局人それぞれとしか言えません。叱られなくなった社会だと言えるのは社会的な立場があり恵まれた人です。現実は怒りをぶつけ合い憎しみあっているのが現実です。

 

衣食住があり健康だったとすれば生きている上で一番つらいのは他人から説教されたり叱られたりすることだと考えています。学生時代は教師という存在がいて誰でも大なり小なり叱られてそれもけっこううざいのですが大人になって叱られるのもかなりつらいです。叱られない社会がいつか本当に到来することを切に願っています。

2019年4月の支出と振り返り

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床屋1800円

本1728円

スーパー、コンビニ3169円

携帯電話2110円

ノート1000円

ネットフリックス864円

ウィスキー3590円

ゲーム4370円

本1512円

電子書籍11875円

手数料108円

県民共済2000円

家賃50000円

計84126円

 

[本1728円]

本屋を歩いていたら将棋棋士の名鑑が売っていたので買ってしまいました。家族で将棋観戦が趣味になっているので少し高いけど買いました。月額500円ほどの将棋アプリは辞めてしまいました。ライブの映像で見て解説付きだと面白いけど棋譜だけ追うのは少しやる気がなくなりました。

 

[ウィスキー3590円]

4ヶ月ほど断酒していましたが結局また毎日飲むようになってしまいました。アルコールを飲みたい欲求がなくなりもう一生飲まないかもと思っていましたが甘かったです。19年飼っていた猫の死をきっかけにまた飲むようになり、またアルコールが生きている理由のようになりました。

 

人生や社会に半ば絶望しているのでやむを得ないと言えばやむを得ないのかもしれません。読書とアルコールが今生きている理由です。完全に希望は捨てないように生きていきたいです。

 

[ゲーム4370円]

ボーダーランズ3のPVを見ていたら猛烈にボーダランズ2をやりたくなりプレステ4のものを買ってしまいました。月を舞台にした作品も収録されたお特番なので勢いで買いました。楽しくやっていたのだけどある日突然遊ぶ気分でなくなりそのままになっています。またやる気になったら遊ぼうと思います。

 

[本1512円]

家族がストレスで悩まされていたので家族にストレス対策本をプレゼントしました。自分が今まで読んだ中で最高のものだったので効果があることを期待しますがどうなるでしょうか。

 

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[2019年4月を振り返って]

職場では細かいトラブルがいろいろありました。しかし記録を見返さなければ思い出せないようなレベルの出来事でした。職場の人間関係は依然として良好を維持されていると感じていましたが少しずつきな臭い動きもありました。まだそんな深刻なレベルではないですが人間が集まりある程度時間がたつと必ず不和やトラブルが起こるのでしょうか。

 

19年飼っていた猫が死んだためか生物がいつか死ぬのが無性に恐ろしくなりました。それでアルコールをまた飲み始めてしまいました。しかしそんなことを心配していても仕方ありません。世界中にいる全ての人がいつか死ぬのですから。そんな理屈はわかっていてもやたらと恐ろしくなりました。軽いノイローゼだったかもしれません。先のことはあまり考えないようにしています。

労働法が守られるドイツは楽園に見える

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最近時々ドイツの労働現場の記事を見ます。ドイツでは労働者が労働法にきちんと守られ、それでいて生産性は日本よりはるかに大きいということです。有給休暇は全部消化が当たり前、残業はなし、1ヶ月の長期休暇も当たり前です。残業はあっても2時間が最大、それ以上は問答無用で仕事を打ち切られる、後日勤務時間から2時間早く退社することを義務付けられています。そういう社会ということです。でも冷静に考えるとそれは特別なことではなくて当たり前のことです。

 

労働時間は法律で制限されているし有給休暇消化も労働者の権利として与えられています。法律は守られるのが当然ですし守られなければ罰せられるのが当然です。当たり前のことが当たり前に行われている状態が楽園に見えてしまいます。日本では法律を守ろうとするとむしろ空気の読めない奴という残念な人間扱いされます。法律を破って大金を稼ぐ人間が賞賛されてしまいます。

 

なぜそうなるのかといえば、結局罰則が軽いということがあげられます。人を殺しても罰金100円とかだったら実質、罰はないも同然です。無法地帯となります。労働現場はまさにそういう状況なのです。罰が軽すぎるがゆえにどの企業も労働基準法を守りません。法律に保障されている権利を使おうと有給を使おうとすれば社会人の自覚がないと言われる始末です。

 

違法行為をする人間が大きな顔で社会にも発言します。それもこれも罰が軽すぎるのです。例えば国税局や税務署が税金を徴収できるのは税金を払おうとしない人間に大きな罰を与えるからです。罰を与える強権が与えられているから秩序を保てています。日本の労働現場は秩序がない無法地帯です。秩序を保つには法を破る人間に罰を与えるしかないのです。

 

社員に過労死させても罰金50万円で済んでしまうので実質、法律は機能していません。過労死させたら1年間営業停止、経営者の資産差し押さえくらいは必要です。日本の経営者で何百億円、何千億円という資産を築けているのは労働者を違法行為で働かせている結果です。労働基準法を破ったら執行猶予なしの実刑にするくらいの協力な罰が必要です。それくらいしないと誰も労働基準法なんて守りません。

 

思うに他人を奴隷のように働かせないと富を築けない、豊かになれないという考えが日本の経営者に染み付いていると思われます。体育会系の組織で他人に暴力をふるったり他人の人格を否定したりしないと他人を動かせないという考えに縛られているのと同じです。

 

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本当に他人を奴隷扱いしないと富は築けないのでしょうか。そういう疑問があるところに労働法を守るドイツです。ドイツはヨーロッパの中で経済的に勝ち組です。生産性でも日本をうわまります。だったら労働法を守ったほうがいい。

 

もっとも法律を守るのに生産性が高いからとか理由はいりません。労働者の権利や生活を守るためにあるのが法律なのですから。それでも法律を守ることによって豊かになれるなら破る理由はないでしょう。冷静に考えれば法律がどうのこうの言わなくても睡眠不足が続けばパフォーマンスは落ちるし健康を損ないます。常識で考えてわかることなのです。ドイツが理想の労働現場を実現できるなら日本でもできるはずです。罰を重くして日本も理想の労働環境を築きたいという思いが捨てきれません。

プライオリティは生きること

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「死なないこと以上に大切なことはない」とPHAさんは言いましたが考えるまでもなく命が一番大切に決まっています。しかし現実はこういう言葉をわざわざ言わなければならないくらい命が粗末に扱われています。過労死する人々、うつ病で自殺する人々、イジメで自殺する生徒たち、毎年何千人も死ぬ交通事故などなど。人の命など虫のように扱われている気がします。

 

現代日本では仕事を続けるか死ぬか、学校に行くか死ぬかというふうに2択をつきつけられています。いったんレールをはずれるとなかなか元にはもどれません。ゆえに仕事や学校を続けられないとなると死ぬしかないと考える人もでてきます。選択ややり直しを許さない社会では常に命をかけたゲームを強制されているようなものです。そういった状況では死ぬまで働く人がでてきても不思議ではありません。

 

そういった社会では「死なないこと以上に大切なことはない」とわざわざ言わなければならなくなります。知り合いで過労死するほど働いていた人が体を壊して入院した人がいました。会社からの連絡はいつ頃体は治りいつ頃復帰できるのかという事務的な連絡と健康保険などのやりとりだけだったそうです。さらに復帰してからは翌日からトラブル中のプロジェクトに放り込まれたとのことです。

 

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その時自分が会社にとって単なる部品に過ぎないということを悟ったと語っていました。しかし本当のことを言えばずっと前からそんなことはわかっていたことでしょう。ただ現実から目をつぶっていたり考えないようにしていただけなのです。生きていくためにはそういうことも必要ですが自分の命を失うまで目をつぶっていたり健康を損なうまで思考停止しているのはまずいです。

 

学校や職場は本来命懸けで行くようなところではないでしょう。しかし現代日本では本当に殺されたり精神を殺されて自ら命を絶つ人が後をたちません。優先順位としてはひとまず死なないこととなります。次は健康を損なわないことでしょう。どうせいつかは死ぬのだし早まることはないでしょう。生きられるだけ生きてから死んでいくということでいいと思います。

 

間違っても優先順位を他人や組織に認められることなどにすると過労死するまで働くことになりかねません。本人がそれで幸せと感じるならそういう人生もありなのかもしれませんがそうでないなら優先順位を変えるべきでしょう。辛い現実に打ちのめされると忘れそうになりますが「死なないこと以上に大切なことはない」ということはいつでも覚えていたいです。

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