[部下や後輩との交流は難しい]
部下や後輩を育てるというと上から目線な言い方になりますが実際問題として新しく職場に来た人間には立場的にいろいろ教えなければならない時があります。部下や後輩にいろいろ指導するのは難しいことがいろいろあると実感します。
もともと他人とコミュニケーションをとるということ自体が難しいと言えます。部下や後輩には注意したり褒めたりといったことも意識的にやっていかないといかないので悩むことがあります。なかなか自分の思うとおりに動いてくれない時は自分の忍耐を試されている気がします。
こちらが伝えたことを捻じ曲げて解釈したり予想外の行動をしたり悩まされることもあります。もっとも自分も上の人間にはそう思われている可能性があるのであまり他人を責めたくはないです。
[無理にコミュニケーションするのはつらい]
人間関係が良好なら少しくらいトラブルがあっても話し合って簡単にすむことも多いです。だから良好な人間関係を築くことにエネルギーをそそぐことになります。ただ無理に話をするのもつらいものです。無理に話をしているというのもすぐに相手に伝わりますからね。
相手が変わった人間の場合、コミュニケーションのために話しかけたのに迷惑そうにされたりすることもありへこんだりします。「長期休暇とって休みに行くんですね。」→「はい」(これで会話を打ち切られる)→撃沈。というようなこともありました。
[さりげなく承認欲求をみたす]
人を育てるというのは根本的に無理なんだろうと考えています。その人のもつ性格とか考え方とか少し注意したくらいで簡単に変わるものではありません。粘り強く注意して何年かかけて少しずつ変わる可能性があるかもという感じです。自分自身も注意されたからってそんな簡単には変われなかったりします。
せめて良好な人間関係を築くために他人がしてくれたことは、ささいないなことでも頻繁にありがとうと伝えることをしています。よく世間でいわれるように承認欲求を満たすということをしています。ただ特に褒めるようなこともしてくれない場合はけっこう困ります。
職場で一緒に働いていれば何かお礼をするようなことはやってくれるものですがお礼をいうようなことが何もないということもよくあります。そういう場合はただ見たままの客観的な事実を伝えてコミュニケーションを測っています。何も話さないということは人間関係にとってよくないと感じるからです。
[まとめ]
部下や後輩と育てるとかコミュニケーションとか悩むのも人生の貴重な経験であると思います。ただ基本的には人は人を変えられないので悩まないほうがよいです。ただできることだけやっておくという感じです。