自由を求めて

セミリタイアを目指す40代会社員の日々感じたことの記録をしていこうと思います。連絡先はkenkou146@gmail.comです。

スポンサーリンク

孤独の方がやはりいい

f:id:dorankun:20181106155426p:plain

[悪意がなくても他人を不快にさせるリスク]

最近、無理に他人とつながらなくても孤独の方が人生を楽しめるというような文章を立て続けにいくつか読みました。偶然目に入ったから読んだのですが、そういう文章がよく見かけるというのは、そう考える人が増えてきたということでしょうか。たまたまかもしれませんが、孤独がいいことかどうか考える人が一定数いるというのは間違いないようです。

 

僕はというと孤独に関しては考えが揺れていました。孤独の方が気楽そうだけどやはり人間の幸せは人と接することから生まれるんだよなと思ったり、孤独や自由の方が楽しいけど寂しくもあると感じたりしています。誰でもそういうものかもしれませんが要するにバランスが大事かなと思っていました。

 

最近はまた考え方が変わり孤独のほうがいいと思うようになりました。年齢的なものもあると思いますが他人と一緒にいることによるリスクがわずらわしくなってきたのです。一番つらいのは特に悪気や悪意がなく何気なく言ったことや行動が他人を苛立たせたりキレさせたりすることです。

 

こちらは悪意がないので相手が怒り出して戸惑うばかりとなります。何に対して不快に思うかは人それぞれだから完全に予測することはできません。常識的な判断からある程度予測できるとしても意外なことで不快に思うからやっかいです。小学生からの親友が大人になってからぶち切れられたり楽しく話そうと世間話をふったらキレられたりしたこともあります。他人と話しているときは油断がなりません。

 

さすがにそんなことはしょっちゅうあるわけはありませんが、他人と会話すると楽しいこともあるものの消耗も大きいです。自分もささいなことでキレたりすることもあったのでお互い様なのですけど。若い時は消耗より楽しさの方が勝り、年齢を重ねると消耗の方が勝るのかもしれません。

 

[他人と一緒にいること自体がストレス]

人によってそれぞれですけど本当に他人と一緒にいることがストレスになるタイプの人間がいます。自分がそういうタイプだと気がつかずに無理に他人のコミュニケーションしようとすると不幸になります。でも若い時は自分がどのタイプかわからずもがき苦しむことになります。それもまた一つの人生というほかありません。

 

自分がひとりでいるほうがいいというタイプの人間とわかれば苦しまずそれなりに楽しく生きていけます。自分が一人の方が幸せという人間だと気が付くのが難しいしなかなか認めたくないものです。最近はもしかするとすべての人間は本当は一人の方が楽しいのではないかとも思っています。

 

旅行好きの人間何人かに聞いたのですが友達と行くより一人の方が気楽で自由にできるからいいと言っていました。どれだけ相性が良くても気があったとしても多くの時間を一緒に過ごしすぎると憎しみあうように人間はできているのではないかという気がしています。

 

[ネットが孤独のマイナス部分を少なくしている]

孤独は死に至る病と言われて日常生活に悪い影響を与えると言われてきました。でもネットが普及してから一人の時間を充実して過ごす人が増えたような気がします。統計をとったわけではないのでそう感じているだけですがあたっているような気がします。無料か低価格の娯楽が増えたのでそれでプライベートな時間を楽しめるからです。

 

以前はテレビ番組がその代わりだったのかもしれません。テレビ番組は100パーセント受動的なのに比べてブログや動画投稿やツイッターで他の人と情報交換したりと自分から動いていくこともできます。そのあたりが孤独のマイナス部分を打ち消す要素があるように思います。

 

キンドルがあればネットで簡単に本を買って持ち運べるというのも孤独に対して意外にいい影響を与えているような気がします。いちいち本屋に行って本を探してかうという行為をしなくても本を読めてさらに他人に自分が何を読んでいるか知られないというのはありがたいです。

 

本を読むという行為自体、かなり精神にいい影響を与えるのでそれが気楽にできるネット社会は本当にありがたいです。

 

スポンサーリンク

 

 

[まとめ]

このネット社会では孤独がもっとも人生を楽しめるのかもしれません。人それぞれの人生観によりますが一人でいたほうが幸せな人が多い時代という気がします。

ブラック企業とニートとどちらがいいのだろうか

f:id:dorankun:20181103213120p:plain

[ブラック企業か社会的な死か]

ブラック企業で働いているのとニートでいるのとどちらがいいのだろうかとたまに考えることがあります。ブラック企業とは言え働いている方がニートより社会的評価が高いのは間違いありません。だけどブラック企業で働くことにより精神が壊されて健康も損ない自ら命を立つような状況になるならニートの方がましかもと思ったりします。

 

金持ちの子供でずっとニートをしている知り合いが一人いるのですが、その人はいかにも幸せそうなのです。もちろん心の中まではわからないのだけど外から見る分には人生をエンジョイしている。将来の不安とか劣等感とか感じている様子もない。それはそれでどうなんだろうと思わないでもないですが新卒で入った会社が厳しくて自殺という人生よりはいいのではないかと思います。

 

ただこの知り合いのニートは例外中の例外であり実際ニートは精神的にかなりつらいのが普通です。僕も経験がありますがかなり精神的に追い詰められたようになります。社会復帰も楽ではないし将来が見えず人生が詰んだような気持ちになります。つまり運悪くブラック企業に入ってしまうと命に関わるもののやめてニートになっても社会的な死が待っています。

 

転職というのも今の日本では気軽にできる選択肢ではなくうまくいかない可能性も高いです。そういった事情で足元を見られて辞めることができないと思われれば徹底的にこき使われます。ブラック企業か社会的な死かという2択を迫られている人が世の中には多そうです。個人の価値観や人生観によって答えは違うでしょうがブラック企業で本当に死ぬよりは社会的な死の方がましだと考えています。

 

[学校か死か]

学校というのもブラック企業に近いもののように僕には感じます。やめられないと言う人の足元を見て面倒なことをやらされてたり嫌がらせがあったりするところです。仕事の場合はまだ辞めるという選択肢も現実的に存在するものの学校を辞めるという選択肢はほぼありません。

 

そういう意味では仕事以上に精神的に過酷な状況に置かれている生徒も少なくないと思います。学校に行かないという選択肢を選んだ場合、社会的な死が待っています。学校という地獄か死かという選択肢を突きつけられて死を選んでしまう子供がいても不思議ではありません。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[選択がないのが不幸の根源]

ブラック企業か死かあるいは学校か死かという選択肢を突きつけられている人が多くいます。運良くいい環境の職場に入れた人や充実した学校生活を送れる人はいいですが本当に精神が壊されたり命を奪われかねない環境でも選択肢がないのが問題なのです。人間は他人の足元を見る生き物なので逃げ場がない人間には徹底的に攻撃をします。

 

選択肢のある社会にすべきだと思います。現在は選択肢があるようでありません。殺されるか自殺するかどっちか選べという状況では選びようがありません。具体的には学校に行かなくても普通に仕事に就けるルートがほしい。そしてブラック企業は駆逐して社会から消し去るべきです。

 

しかし現実はそうなる可能性は皆無です。現状は歯を食いしばって耐え忍びなんとか状況が変わるのを待つしかありません。僕の知り合いのように状況が許されるならニートのほうがましであるというのが僕の結論です。現実的な路線としてはなんとかセミリタイアを目指すのがいいと思います。

ブラック企業はやはり許せない

f:id:dorankun:20180829232641p:plain

[新人を使い捨てる前提のブラック企業]

何回かブラック企業について批判的な記事をブログに書いてきました。しかし今更ですがブラック企業は多分日本が存在する限り存在し続けるだろうなあとあきらめの境地になりブログで書く気持ちもなくなっていきました。しかし最近ブラック企業で働いていたという人の話を聞いてまた書く気持ちになりました。

 

なんでもその企業は新卒で採用した社員のほとんどすべては1年以内にやめていくそうです。なんでそんなところに人が来るのかというとマスコミにはたくさん取り上げられ知名度は高いからということでした。知識や技術を身につけさせることもなく徹底的に使い潰して終了というのがその企業の戦略なのです。

 

やめていった一人の女性の両親が労働監督署に訴えると言った時だけしぶしぶ50万円払ったそうです。経営者はそのことにさんざん愚痴っていたということです。こんな企業が知名度も高くマスコミにもてはやされているかと思うと絶望的な気持ちになります。こういう確信犯的に若者を使い潰す企業は潰したほうが社会のためになると思うがどうでしょうか。

 

[高級車に乗る経営者]

なぜか若者を搾取する人間は高級車に乗るという法則があるようです。だいたいみんな高級車を購入したがっています。高級車に乗ること自体は別にかまわないのですがそのお金が違法に他人から奪ったお金だということが問題なのです。法律を破って違法に他人を酷使して利益を上げているのだから強盗して稼いだお金で高級車に乗っているようなものでしょう。

 

よく聞くのがいやなら辞めればいいという意見です。あるいは自分が経営者になればいいということを言う人もいます。確かにそれも一理ある場合もありますが強盗にあっていやなら移住すればいいとか自分も強盗すればいいといっているのに似ています。やっていることが違法だから問題なのであって被害者がこうすればいいとかああすればいいとか論じるのはおかしいでしょう。

 

[法令遵守しようという企業の邪魔をする]

ブラック企業のもっとも大きな弊害はまともに法律を守ってビジネスをしようという企業の邪魔をすることでしょう。違法なことをしたほうが競争力が高まるのは当たり前なので他の企業も違法に経営せざるを得なくなります。悪貨は良貨を駆逐するといいますがまさにその通りです。

 

この予算では無理があるから断ろうと思っても他の企業が違法行為をしてその予算で仕事を請けるなら自分たちもその金額で受けなければなりません。そうしないと市場から締め出されるからです。こうして日本中すべての企業がブラック化していきます。

 

スポンサーリンク

 

 

[まとめ]

国民の幸せとはまともな労働環境で働けるということとイコールであると思います。しかし残念ながら日本政府にはブラック企業を取り締まるつもりはないようです。むしろブラック企業になるよう促進しているのではないかと思えるようなふしもあります。

 

それでも社会は少しずついい方向に向かって進んでいくと信じたい気持ちもあります。江戸時代に比べればとてつもなく生活しやすくなっているのは事実です。比べる対象が悪いかもしれませんがとにかく社会は良くなっていくという気持ちは持っていたいです。

仲の良かった人間がなぜ不倶戴天の敵になるのか

f:id:dorankun:20181025182941p:plain

[遠慮がなくなる]

人生を振り返ると親友と呼べるような人間は3人いました。親友と呼べないまでもかなり仲良く交流していた人も数人いました。しかしそのほとんどと敵対関係のようになってしまいました。今はそうでもないですがかつては寂しくて他人と一緒にいたいと思うタイプの人間だったので極力他人と良好な関係を築きたいと思っていました。

 

 

特に親友や友人とは仲良くしていたいと思っていました。しかしなぜか関係が悪化して場合によっては憎しみあうようにもなってしまいました。もともと気が合う人たちだったのになんでこうなってしまうのでしょうか。その理由の一つとしては仲良くなると遠慮がなくなるということがあります。

 

知り合って仲良くなる課程であるレベルを超えて時間が経つとお互いに遠慮がなくなります。遠慮なく話せるということも仲がいいもの同士だけにできる長所の一つですがそれが裏目にでて怒りが蓄積されて憎しみあうようになることがあります。これを避けるためには親しき仲にも礼儀ありということわざ通りどれだけ仲がよかろうと礼儀や遠慮を持つことが大切です。

 

しかし礼儀や遠慮を忘れてリラックスして話せるのが親しい人のいいところでもあるので運が悪いと関係が悪化するリスクもあります。つまり礼儀や遠慮を忘れることができるのが親しい人のいいところでもあるのにそれ自体が憎しみあう要素となってしまうのです。

 

[一緒にいる時間が長いから癇に障るようになる]

親しい人とは行動をともにする時間も増えることになります。一緒に行動する時間が長いと人間は仲がよくなる傾向にあります。ただそれも一定の時間を超えると憎しみあうようになります。これは恐らく例外はないのではないかと思います。一緒にいる時間が一定を超えると人は憎しみあうようになるという法則があります。

 

だから一緒にいる時間を調節することが良好な人間関係を築く方法となります。ただし調節できない場合も多くそれで人間関係は破壊されます。また相手が自分と一緒にいたいと言ってくれてるのにそれを拒絶するのも心理的に難しい場合もあります。どれだけ気の合う2人だったとしても24時間、同じ部屋にいたら離れたいという心理が芽生えてきます。

 

それが人間の自然の心理です。かといって離れている時間が一定を超えるとだんだん疎遠になって気持ちも相手から離れていきます。普通に生活していたらちょうど適切な時間を相手と過ごすというのが理想です。そうならない場合は人間関係は少しずつ壊れていきます。

 

[仲が良かった分だけ憎しみも増える]

自分のこころにトゲのように刺さっている過去の嫌な思い出はだいたいかつてとても仲が良かった人によって引き起こされました。最初から自分に悪意のある人の嫌な思い出は時間とともに薄れて思い出さなくなります。思うに愛しさあまって憎しみ100倍という状態なのでしょう。

 

人間関係が終わっていない場合でも親しい人間に対するほうが怒りが大きくなる傾向があるのかもしれません。自分の味方であるはずの人間が自分に牙をむいてきたようになり怒りが倍増しているのでしょう。仲がいいとう事実そのものが憎しみを増やす燃料となっています。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[まとめ]

人間という生き物は仲がいい相手と常に憎しみあう可能性を持っていると言えます。むしろ仲が良けれいいほどその可能性も高まります。一生仲のいい夫婦とか親友も存在するでしょうからあくまで可能性の問題ですけど。僕としては他人とは表面上仲がよければ十分と考えてあまり距離を縮めないようにしようと考えています。

過去の自分を許そうと思う

f:id:dorankun:20181021213650p:plain

[コミュニケーション能力が低い自分]

先日、休日に風邪をひいて1日頭がボーッとしていたことがありました。風邪薬を飲んでその影響もあったのか本当に1日頭の中がぼんやりしていました。そういった体調でYoutubeやらNetflixを見てダラダラ過ごしていたのですがなぜか本当に幸せな気分で一日を過ごしていました。

 

その日は他人や社会に対する憎しみも怒りもなく後悔や自責の念もく焦燥感もありませんでした。それで本当に平穏な気持ちで過ごせたのだと思います。逆に言えばいつもは頭の片隅にそういったネガティブな感情がこびりついているということです。残りの人生を平穏な気分で過ごすためにそれらのネガティブな感情を取り除きたいと考えました。

 

考えた結果過去の自分のあれやこれやを許せていないからネガティブな気持ちがいつも頭の中から湧いてくるのだという結論になりました。だから自分の過去のあれやこれやを許そうと思います。まずはコミュケーション能力が低い自分を許したいです。コミュニケーション能力が低いゆえにずいぶん他人とトラブりました。

 

他人からずいぶん攻撃されてけっこう根に持っていました。自分が理由で攻撃を誘発している部分もあったのですが傷つけられるとやはり恨んでしまいます。ただ僕自身に悪意があったかなかったかというと僕にはまったく悪意がありませんでした。さらにはどうして自分が攻撃されるのかもわからず悩みました。

 

その頃の自分が許せずにいて他人を憎んだり自分を責めたりという感情が頭の中にこびりついているのだと思います。でもコミュニケーション能力が低い自分を許したいです。自分なりに他人と仲良くしようと努力した結果としてそうなんだから仕方ないです。意図的に他人を不快にしようと思ったことはないので運命として受け入れるしかないです。

 

[記憶力がない自分]

僕は人より記憶力がないようです。物忘れが激しいという感じです。本当に覚えていなければならないことを スコーンと忘れてしまいます。そのためけっこう人に迷惑をかけました。さらに忘れてしまうことも人間だから仕方ないと自分に大目にみていました。そういったことが積もって他人のヘイトを高めていました。

 

今はメモをマメにとったり過去のミスを分析したりしていますが当時はしていませんでした。それが原因でいろいろトラブりましたがそんな自分も許したいです。やはり悪気があったかなかったかと言えば悪気はなかったからです。世の中には物覚えがいい人もいてうらやましい限りですが自分はそうでなかったから仕方ありません。

 

[親不孝な自分]

自分の人生を振り返ると親不孝だったなあと暗い気分になります。主に20代の頃ニートのように過ごしていたことが原因です。10代の頃も親の期待を裏切り続けて生きてきました。そんな自分も許したいです。今は仲良く良好な関係を築けているというのもありますが仮にそうでなくても許したいところです。

 

自分なりに必死に生きていて親不孝だったとしたら仕方ないです。暴力を振るうこともなく犯罪に走ることもなく自らの命を絶つでもなく一応平穏に生きているのでそれだけで親孝行と言えなくもないかなと考えるようにしています。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[まとめ]

平穏な気持ちで生きていくためには過去の自分を許すしかないと思います。残りの人生で少なくとも過去の自分を責めることはやめておこうと思います。

探偵が早すぎる前巻を読んだ感想

 

探偵が早すぎる (上) (講談社タイガ)

探偵が早すぎる (上) (講談社タイガ)

 

 

[スカッとする小説]

その可能性はすでに考えたという小説が面白かったので同じ著者の小説を読んでみました。前に読んだ小説も異彩を放っていましたが今回もとても変わった小説です。名探偵が起こった事件を解決するのではなくて事件が起こる前に事件を防いで解決してしまう探偵の話です。

 

命を狙われている5兆円の遺産を受け継ぐ少女を守るために名探偵がわずかな異変から事件を察知して事件を未然に防ぎます。事件が起こる前にすべての危険性を察知してしまうので名探偵は超能力じみた能力を持っているようにみえます。そのためリアリティがやや薄れていますがエンタメとして最高に面白いです。

 

自分がなぜ小説を読んでいるかというとスカッとしたいからです。そういう意味では本当にスカッとできる小説です。中にはひたすら主人公がつらい思いをして我慢して読み続けてスカッとする展開を待っていたら最後までつらい展開という小説もありました。リアリティなんて少々そこなってもいいから爽快な気持ちになりたいのです。

 

この小説では少女の命を狙う人たちに名探偵がカウンター攻撃をしていくのが楽しいです。まだ前巻しか読んでいないですが下巻がどうなるか楽しみです。

 

[論理的でこ気味良い]

名探偵が超能力じみた能力を持っておりキャラクターもそうとう立っておりラノベ的な感覚もあるのですがトリックを見破る論理は筋が通っておりその部分はリアリティがあるといえます。どうやって探偵が犯行を未然に防いだのかの解答編を読んでいるとこ気味よいです。

 

この著者が本当に天才だと思うのはこの論理の組立が本当に細かくてそれなりに筋が通っているように思えるところです。普通の人間がいくら考えても思いつかないであろう論理を物語の中に組み込んでいくのです。必死に考えて思いつくものではないだろうからこれが才能ということなのでしょう。

 

[ページをめくる手がとまらなくなる瞬間が好き]

小説をなぜ読むかというとスカッとしたいからだと書きました。その他の理由をあげるとすると謎解きの場面になりページをめくる手がとまらなくなる瞬間を味わうためということもあります。だから僕は推理小説を読むのが好きです。人間の内面を描くと称してやたらとうつ展開の小説は本当に苦手です。

 

うつミスというジャンルの小説もありますがつい読んでしまって本当に後悔しました。この小説はいい意味で能天気な雰囲気があり登場人物の名前も性格も変わった人間がいっぱいいて明るい展開です。長編でありながら短編が集まったようでもあり謎解きが何回もあるのでそのたびにページをめくる手が止まらなくなります。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[まとめ]

エンターテイメントとして一級の作品だと思います。こういう作品を読むと小説家になるということはプロ野球選手になるとか宇宙飛行士になるレベルで大変だよなと思ってしまいます。推理小説好きの人間なら読んでみて欲しいと思います。

嫌な気持ちの対処法

f:id:dorankun:20181015223146p:plain

[紙に書くというのはうまくいかなかった]

 嫌なことがあっても一晩寝ると忘れるというタイプの人がいます。思い出すのは過去の楽しいことでいつも楽しそうです。いつも楽しそうだから周囲に人が集まってワイワイしてますます楽しそうになります。僕はちょうどこの真逆のタイプです。嫌なことがあるとひきずります。

 

僕にも過去に楽しい経験はたくさんありますが、なぜか思い出すのは嫌なことばかりです。そういう状態において特に嫌なことがあるとさらに引きずります。それで嫌な気持ちを消す方法をずいぶん探しました。紙に嫌な出来事を書くとすっきりするという話がありました。

 

問題点を整理するにはいいですが嫌な気持ちが衝動的に起こるのを防げません。むしろ紙に書く事で嫌な記憶が強化されるような面もあると思います。紙に書く事のメリットもいろいろあるとは思いますが嫌な気持ちを消すという面ではあまり役に立たなかったです。

 

[人に聞いてもらうのもうまくいかない]

人に話せば気持ちが楽になるということもよく聞きます。これは事実ではありますが問題は聞いてくれる人がいないということです。話したところで嫌な顔をされたり迷惑そうにされるだけです。そのこと自体が嫌な気持ちにさせられます。僕としては深刻な気持ちではなく軽い世間話として嫌な思い出を語ったことが何回かあります。

 

すでに時間もたっていたので自分の中では消化されていたので本当に世間話としてはなしたのですが驚くほど拒絶されました。「そんなのみんなそうじゃないか!!」と言われ突然無視されるような態度をとられました。あぜんとしました。そこまで激しい反応ではなくても軽い感じで話したことに迷惑そうにされたことも記憶では2回ほどあります。

 

その一方で自分のことを心配してくれた人が親身に話を聞いてくれて心が楽になった経験も何回かあります。ただそういう人がそばにいてくれるというのは 相当ラッキーなことです。いつもあてにするわけにはいきません。嫌な思い出もギャグにして笑いをとるくらいでないと他人に話すわけにはいきません。

 

しかしギャグにできるくらいならもう嫌な気持ちは消えているので無理に他人に話す必要もないわけです。結局気持ちを楽にするために嫌な出来事を他人に話すということは選択肢となりえないのです。

 

[嫌な気持ちを消す方法はないと悟ることが一番かも]

嫌な気持ちを消す方法というのは結局のところ消す方法はないと悟ることではないかと考えます。なんだかややこしいですがあきらめることが一番嫌な気持ちを消します。嫌な気持ちは一生消えず一生苦しみ続けることになるという事実を受け入れます。そうすると多少気持ちが楽になるような気がします。

 

根本的に嫌な気持ちは時間がたつのを待つしかないという結論です。本当に嫌な気持ちは時間がたってさえなかなか消えません。消えたと思っても何かのきっかけでよみがえります。それもこれも生きている限りやむを得ないことなのです。その覚悟があれば気持ちが多少楽になります。

 

スポンサーリンク

 

 

 

[まとめ]

幸か不幸かは心の状態と言えます。嫌な気持ちでいるときはその瞬間は明らかに不幸です。パソコンからファイルを消去するように嫌な記憶を消去できればいいのにとよく考えます。実際は消去どころか記憶に定着することさえあります。でも残念ながら嫌な気持ちを消す方法はないというのが僕の結論です。

 

禅問答のようになってしまいますが嫌な気持ちを和らげるためには嫌な気持ちを消す方法はないということを受け入れることではないかと思っています。

Sponsored Link